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ドジャース・大谷 日本選手初メジャー通算200本塁打!ルースより早い通算794戦目で

スポニチアネックス 2024年7月15日 1時31分

 ◇インターリーグ ドジャース9-11タイガース(2024年7月13日 デトロイト)

 ついに出た!!ドジャースの大谷翔平投手(30)が13日(日本時間14日)、タイガース戦の5回に29号ソロを放ち、日本選手初のメジャー通算200本塁打に到達した。初アーチから2293日、投手のみでの出場を除いた794試合での大台到達は、元祖二刀流ベーブ・ルースの817試合を超えるハイペース。4年連続の30本塁打まであと1本、日米通算250号にもあと2本。背番号17の伝説はまだまだ続く。

 甘い球は逃さない。メジャー7年目の確かな成長を示す大谷の一発だった。2―2の5回先頭。右腕モンテロのチェンジアップが真ん中高めに浮いた。ライナー性の打球は右翼ポール際へ着弾。6試合ぶりの一発に敵地デトロイトのファンも大きく沸いた。

 日本選手初のメジャー通算200号に到達した。出場794試合で200号は、元祖二刀流ベーブ・ルースの817試合を超えるハイペースだ。初回の三塁打と、ナ・リーグ本塁打王争いトップを独走するこの29号で、前半戦の56長打は54年のデューク・スナイダーを抜く球団新記録。四球で出塁した8回は今季23個目の盗塁となる二盗も決め、年間48本塁打ペース&38盗塁ペースとした。

 800試合以下(794試合)で200本塁打、500打点(506)、100盗塁(109)到達は史上初。デーブ・ロバーツ監督は「MVP級のシーズンだ。これまで(右肘じん帯損傷や右脇腹痛などで)負傷者リストに入った期間もある中で、これほど早く200号を達成したのは驚くべきこと」と改めて称えた。

 18年4月3日のインディアンス(現ガーディアンズ)戦で記録したメジャー1号から2293日。変化を恐れず、量産し続けた。同年はオープン戦で極度の不振に陥り、開幕直前に同僚のプホルスを参考に、右脚を上げず、内側に少しひねる形の「ヒールダウン打法」を採用し、今も続ける。

 21年は登板前後を休養に充てる「二刀流ルール」を撤廃し、投打同時出場も解禁。右肘手術から本格復帰のシーズンだったが、自己最多の46本を記録。昨季は44本で日本選手初の本塁打王に輝いた。

 それでも現状維持は選ばなかった。今季はキャンプからバットを垂直に立てる新フォームや、近距離のマシン打撃で内角球へのさばき方を入念に確認。12日には「(フォームやアプローチは)毎回変えてるし、試している」と試行錯誤し続けていることを明かした。4月21日のメッツ戦で松井秀喜を超える日本選手最多176号を放ち、前人未到の領域の独り旅が続いていく。

 試合は5点リードの9回に同点に追い付かれ、延長10回の末に逆転サヨナラ負け。チームは8回終了時リードしていた試合は48勝0敗だったが、崩れた。ロバーツ監督は「翔平の200号を勝利で飾れなかった」と落胆し、試合後の大谷もクラブハウスで無言のまま悔しさをにじませ、取材対応もなかった。

 14日(日本時間15日)のタイガース戦は球宴前最後の一戦。5日に30歳を迎えたが、まだまだ先をにらむ。300、400、その先へ。歩みは日々、力強さを増すばかりだ。(柳原 直之)

 ≪米殿堂博物館200号寄贈依頼せず 副館長「これは始まりに過ぎない」≫200号を放った直後の大谷は、球団スタッフから使用した打撃用手袋とバットの寄贈を求められ、苦笑いしながらも打撃用手袋などを渡した。記念の品として球団や米野球殿堂博物館に寄贈される可能性が高いが、同館のジョン・シェスタコフスキー副館長は、通算200号の記念球などの寄贈は、あえて依頼しない考えを明かした。「翔平は300、400号と記録を伸ばしていく。素晴らしいキャリアを送っているが、これはまだ始まりに過ぎない」と理由を説明した。

 既にメジャー初本塁打のヘルメット、初めて投打二刀流で出場し本塁打した時のバットなどが展示され、今月2日には日本ハム時代を含めた功績が印字されたバットを新たに寄贈した。同副館長は「彼の寄贈品を振り返り、歴史を文書で残すことが最も重要で、我々がやりたいこと」と今後に期待を寄せた。

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