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ドジャース・大谷 球宴1号!21年勝利投手&本塁打は史上初「1本良いのが打てて良かった」

スポニチアネックス 2024年7月18日 1時33分

 ◇オールスター・ゲーム ナ・リーグ3―5ア・リーグ(2024年7月16日 アーリントン)

 待望の一発だ。ドジャースの大谷翔平投手(30)は16日(日本時間17日)、オールスター戦の3回に球宴初本塁打の先制3ランを放った。日本選手では07年にランニング本塁打を記録したイチロー(マリナーズ)以来2人目で、柵越えは初。初出場した21年に勝利投手となっており、球宴で勝利投手&本塁打をともに記録するのは94回の歴史で史上初の快挙となった。 

 テキサスの広大な大地をゆっくりと踏み締めた。3回無死一、二塁。大谷はレッドソックスの右腕ホークの甘く入ったスプリットを強振し、右翼席に叩き込んだ。両手を小さく振るおなじみのポーズで歓喜。ベンチで前夜に本塁打競争を制した同僚のT・ヘルナンデスから恒例のひまわりの種をかけられた。

 「オールスターはなかなか打てていなかったので、1本良いのが打てて良かった」

 4年連続出場の球宴で、8打席目にして待望の初アーチ。「(バットの)先気味だったけど、良い角度で上がっていたので十分に入ると思った」。右翼手ソトは動かず、中堅手ジャッジも目を丸くして驚いた。飛距離400フィート(約122メートル)。ド軍選手では96年マイク・ピアザ以来28年ぶりの球宴弾で、日本選手では07年にランニング本塁打で記録したイチロー以来2人目。柵越えのアーチは初めてだ。21年に勝利投手の大谷は、球宴史上初めて勝利と本塁打を記録した選手になった。

 07年は中学1年生の13歳だった。「小さい頃の記憶は曖昧なので覚えていない」と苦笑したが、イチローはずっと憧れの存在だった。不振に苦しんだ米1年目の18年の開幕前には、バット1本を持って同氏の自宅を訪れ助言を受けたこともある。初めてア・リーグMVPに輝いた21年終了後には「これを機に、無理をしながら翔平にしか描けない時代を築いていってほしい」というエールも届いた。

 その言葉も胸に、メジャーでも唯一無二の存在になった。同僚のフリーマンが「人々が期待することを成し遂げる。それも毎回だ」と驚けば、次打者だった3番ターナーは「誰もが彼の本塁打を期待していて、それに応えた。僕はそれを特等席で見られた」。並み居る球宴選手たちも賛辞を惜しまない。昨年9月に手術した右肘のリハビリ中にもかかわらず、前半戦はナ・リーグ最多の29本塁打。「今日はシーズンの延長だと思って、準備の仕方、試合前の過ごし方はシーズンと同じにした」。5回に決勝2ランを放ったデュランにMVPは譲ったが、存在感は際立っていた。

 2年連続の本塁打王や初のプレーオフ進出を目指す後半戦は2日間のオフを挟み、19日(日本時間20日)から始まる。「早くロサンゼルスに戻って良い休日を過ごし、後半戦へ準備をしたい」。真美子夫人と愛犬デコピンも連れ添った24年のミッドサマー・クラシック(真夏の祭典)は忘れられない思い出となった。(柳原 直之)

 ≪32戦8発の地≫大谷は20年開場のグローブライフ・フィールドは32試合で8本塁打しており得意。球場別でエンゼルスタジアム(99本)、ドジャースタジアム(17本)に次ぐ3位タイ。アーリントンでは旧球場のグローブライフ・パークでも4本塁打しており相性がいい。なお日本の球宴では本塁打は1本で、16年のこの日と同じ7月16日、横浜スタジアムでの第2戦で球宴10打席目にして左中間ソロを放ちMVPに輝いた。

 【大谷と一問一答】

 ――球宴は4年連続でのプレーになった。

 「去年までア・リーグだったので。違うリーグに来て、違う選手たちといい時間を過ごせたと思う。ゲームは楽しかったし、そこで打てたのは自分にとって特別なこと」

 ――ハーパーのどの練習が学びに?

 「どんな練習をしているかは言っていいのか分からないので。自分で見て勉強になったのは本当のこと。自分の練習に取り入れられる部分もある。その時、その時で誰がどういうことをしていたかは、取り入れるべきじゃないかなと思う」

 ――ソトが一緒のチームでプレーしたいと言っていた。

 「ただ、ただ、凄く光栄ですね」

 ――球宴はメンタル的に楽しめるもの?

 「普段、一緒にやらない敵チームの選手たちと一緒にできるのは特別。ここに選ばれるようなレベルの高い選手たちとやれるのは特別なこと。何回でもドジャースの代表として、またここに来られるようにしたい」

 ――本塁打を期待する声が大きかった。

 「自分が打ってみたい、と。なかなか機会がない試合で、そういう一本を打ってみたいと。自分の中でホッとした部分があるかな」

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