俳優の神田正輝(73)が19日に更新されたYouTube「勝俣かっちゃんねる」にゲスト出演。約50年前に手にした俳優としての「初任給」をぶっちゃけた。
神田のデビュー作は1976年に放映されたドラマ「大都会 闘いの日々」(日本テレビ)。ただ、俳優になりたくて出演したわけでなく、旧知の関係だった石原裕次郎さん(1987年死去)に「1本だけ出てみろよ」と誘われ、何度も固辞したものの、最後は「冷やかしで」撮影に臨むことになった。
当時の神田は、スキー板を開発する際のテスターが「本職」。プロ級の腕前を生かし、国内外を問わず、いろんな場所で滑り、「(月に)50万円くらいはもらっていた」と十分な収入があったという。
ホスト役の勝俣州和が「(当時は)役者さんって(給料が)低かったんですよね」と振ると、神田は「低い、低い」と、すかさず同意。「(ドラマ)1本なのに、1カ月以上かかるんですよ。(撮影が)フィルムだから、ビデオじゃなくて。それで、もらったのが1万5千円だから」と驚きの額を口にした。
すると、勝俣が「そりゃ、(俳優を)やらないっていうよね、裕次郎さんから言われても」と納得顔。しかし、「1本」のはずが「1シリーズ」となり、いつの間にか半世紀近くも映画、ドラマで活躍する名優になるのだから、人生は分からない。