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中畑清氏 侍ジャパン監督代行の重圧回想 長嶋氏の病気で急きょ五輪指揮「ちゃんと熟睡した日ない」

スポニチアネックス 2024年7月27日 17時4分

 元DeNA監督で野球評論家の中畑清氏(70)が、27日放送のTOKYO FM「SPORTS BEAT supported by TOYOTA」(土曜前10・00)にゲスト出演し、侍ジャパンの監督代行を務めた04年アテネ五輪を振り返った。

 中畑氏は長嶋茂雄監督の下、ヘッドコーチとして長嶋氏を支えた。しかし、本大会まで4カ月に迫った同年3月、長嶋氏が脳梗塞を患い入院。中畑氏が監督代行として、本番でも指揮を執ることになった。「いい機会を与えてもらったなって感謝していますよ。あのオリンピックの体験がなければ、私のその後の監督の道とか、いろんな道が開けなかったなと思うし、あれを経験したことによって、野球の怖さとかつらさとか(分かった)」と振り返った。

 病に倒れた長嶋氏に代わる指揮官の大役。中畑氏へのプレッシャーは大きかったという。「監督のつらさとかさ、難しさ。ホントに体中がしびれて、プレッシャーで。休まる時がないの。ちゃんと熟睡したって日、ないもん。代行が決まってから」と打ち明けた。「ミスターがいたからヘッドコーチとか、フォローしてあげたいという気持ちになったけど、トップに立ってやるって仕事じゃない。しかも代行っていうポジションでやる仕事じゃない。それをやらせていただいたということで、ミスターには感謝している」。五輪での監督経験は、その後の指導者人生においても大きな糧になったという。

 日本にとっては、全員をプロ選手で固めて臨んだ、初めての五輪。最強布陣で挑んだだけに、金メダルが至上命令だった。中畑氏も「レベルアップした日本の野球をアピールするには、この場所しかないんだという覚悟かな。金メダルしか頭になかったから」と明かした。「あの時に初めてプロ野球選手だけで作ったチームで、100%金メダルだろうって思わせられている環境の中で…ダメだったけどね。俺の中でも金メダルの内容の野球をできたしね。おやじに恥かかせるような野球やってないし、それだけの自負はある」。戦いに後悔はなかったものの、「でもやっぱり金メダルだったよね。病気を治すためにも、金メダルを首にかけてあげたいというのが、みんなの合言葉になっていたから。一番はそれなんだよね。ミスターの病気を治すための金メダルまで、みんなの気持ちが一つになったから、余計ショックだった」とも話した。

 準決勝でオーストラリアに敗れた日本は、3位決定戦でカナダを破り、銅メダルを獲得。手ぶらでの帰国は回避できた。それから17年後。21年東京五輪で、日本は悲願の金メダルを獲得した。中畑氏はその時の長嶋氏の様子を覚えているといい、「一番喜んでくれましたよ、ミスターが。ああ、やっと念願かなったなと思いました」と振り返った。

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