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メダル獲得の日本女子フェンサー 上野、菊池、宮脇、東はどんな人?エース、切り札、頭脳派

スポニチアネックス 2024年8月3日 7時2分

 ◇パリ五輪第7日 フェンシング女子フルーレ団体(2024年8月1日 グランパレ)

 女子フルーレ団体で東晟良(24=共同カイテック)、宮脇花綸(27=三菱電機)、上野優佳(22=エア・ウォーター)、菊池小巻(27=セガサミー)の日本が銅メダルを獲得した。1日の3位決定戦でカナダに33―32で競り勝ち、フェンシングでは個人、団体を含めて女子初のメダルを獲得。男子エペ個人では加納虹輝が金メダルを獲得しており、1大会での複数メダルも初の快挙となった。

【エース上野 ポイント先制流れ呼んだ】

 試合終了のブザーが鳴るやいなや、マスクを取った表情は喜びにあふれ、目は潤んでいた。3位決定戦は第1、第5、そして第9と大事な試合を任され、役割を全うした上野。「個人戦でもみんな期待されていたが、なかなかどの種目も獲れなくて。団体戦は自分たちが一番(最初)なので、そこで歴史を変えようって思っていた」と達成感を口にした。

 カナダとはこれまでも対戦を重ね、常にロースコアの接戦になっていた。3点リードで迎えた第9試合の相手は個人銅メダルのハービー。1点差に迫られた後は防戦一方で、最終局面では下がり続けながらも1点を死守。「無理はせず、しっかり逃げ切ることを考えた」と守りに徹し、歓喜の瞬間を迎えた。

 初出場だった東京五輪は個人、団体ともに6位。無観客開催で「緊張はしなかったが、普通の大会のように終わった」と内から燃え上がるものがなかった。この3年間はW杯やグランプリでも好成績を残し、「凄く自信がある」状態でついにメダルを手に入れた。

 「プライベートでも一緒にご飯に行ったりする。チームを組んだから仲がいいというよりも、元から仲がいい」と、チームワークの良さも偉業につながった。座右の銘は「有言実行」。言葉通りのメダル獲得だった。

 ◇上野 優佳(うえの・ゆうか)2001年(平13)11月28日生まれ、大分県日田市出身の22歳。両親は国体出場経験を持つ元フェンシング選手で小学2年で競技開始。高校2年時に別府翔青高から埼玉の星槎国際高に転校し同年にユース五輪で金メダル。20年に中大に進学し、21年東京五輪では女子過去最高の個人6位。23年世界世界選手権は団体で銅メダル。1メートル60、53キロ。

【切り札・菊池 初の勝ち越し&リード拡大】

 メンバーで唯一、左利きのリザーブ菊池が、メダル獲得の切り札となった。出番が回ってきたのは3位決定戦の10―10で迎えた第4試合。宮脇に代わって投入され、14―13で初めて勝ち越して流れを呼び込むと、20―17で迎えた第7試合でも29―25とリードを広げて東、上野にバトンタッチ。「出番がこれだけと決まっていたので、絶対にそこで点数を取って、チームを盛り上げて勝ちにつなげたい気持ちがあった」とすがすがしく語った。

 菅原コーチも「どこで出しても必ず活躍できる自信を持っていた。とっておきのところで使いました」と説明。チームのムードメーカーとして個人戦で敗れた後の3人を鼓舞し、勝利を呼び寄せた菊池も「みんな前を向いていたので、それが良かった」と笑った。

 ◇菊池 小巻(きくち・こまき)1997年(平9)2月22日生まれ、熊本市出身の27歳。両親がフェンシング経験者で4歳から競技を開始。4人兄弟の次女で幼少期は兄と姉とともに練習に励んだ。熊本の翔陽高から15年に専大フェンシング部に入部。16年にアジアジュニア選手権で団体優勝。23年世界選手権で団体銅メダル。1メートル60、54キロ。

【頭脳派・宮脇 初五輪「緊張」乗り越え】

 初五輪でメダルを手にした宮脇は「特別な緊張感やプレッシャーがあった分、立ちくらみが起きるような、そのくらいうれしかった」と笑顔で話した。ポーランド戦では6―7で迎えた第3試合で15―12とひっくり返すなど、逆転勝利に貢献。相手の懐に飛び込む独特のタイミングの持ち主で、頭脳的なフェンシングが強みの27歳は「苦しい時に頑張る(東京後の)3年間のパワーが出た」と語った。

 ◇宮脇 花綸(みやわき・かりん)1997年(平9)2月4日生まれ、東京都世田谷区出身の27歳。5歳上の姉の影響で5歳で競技開始。小学4年で全国少年フェンシング大会(小学3~4年女子)で優勝。慶応女高時代の14年にユース五輪大陸別団体戦で金メダル。15年に慶大に進学し、18年アジア大会で団体金メダル。23年世界選手権で団体で銅メダル。1メートル61、53キロ。

【Wエース東 「エペジーーン」に続く愛称を】

 上野と共にダブルエースとして歴史をつくった東は、「(最後は)ずっと願った。でも優佳ちゃんならやってくれると思った」と話し、上野の元に駆け寄った。性格は天真らんまんで、チーム内ではなごませ担当。相手を動かして確実に突いていく攻防が持ち味で、ポーランド戦では1人で4点の貯金を稼ぐなど快進撃の流れをつくった。東京五輪で金メダルを獲得した男子エペは「エペジーーン」の愛称があるが「何も作ってない。何か作った方がいい?」と愛称募集を呼びかけた。

 ◇東 晟良(あずま・せら)1999年(平11)8月20日生まれ、和歌山県出身の24歳。フェンシング選手だった母の影響で小学4年から競技を開始。和歌山北高時代の17年に全日本選手権で個人初優勝。18年に日体大に進学し、同年夏のアジア大会で女子団体で初の金メダル。同年11月W杯で個人銀メダル。21年東京五輪に姉の莉央とそろって出場。23年世界選手権は団体銅メダル。1メートル58、48キロ。

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