◇パリ五輪第14日 自転車トラック(2024年8月8日 サンカンタンアンイブリーヌ・ベロドローム)
男子スプリントでメダル候補の太田海也(25=日本競輪選手会)は7位に終わった。同種目の日本人では、84年ロサンゼルス五輪3位の坂本勉以来40年ぶり2人目のメダル獲得はならなかった。
レース後、太田は「力は出し切った。結果を受け止めて、もっと強くなりたい」とボロボロと涙をこぼした。
準々決勝では東京五輪銅メダルのカーリン(英国)と対戦。1戦目を制し、2戦目も先着したが、レース中の接触が原因で降格。やり直しの2戦目は最後まで競り合ったが、相手に振り切られた。
「メダル決定戦(準決勝)に行けたと思ったけど、自分の甘さが出て、行けなかったことが悔しい。詳しいことは審判が決めているので(分からないが)相手との距離が近かったのが失格(降格)の原因かなと思う」と顔をゆがめた。
5~7位決定戦も1位で先着しながら警告を受けて7位に沈んだ。「足も限界の中、残り10分しかなくて切り替えることができなかった。でも応援してくれてる人がいたので、走りきりたいという思いだけだった」と声を詰まらせた。
岡山県出身。備前緑陽高でボートを始めたが、日大進学後、腰痛で競技を断念し中退。実家に戻り、就職したサイクルショップの社長に勧められて自転車のレースに参加するようになった。
21年に日本競輪選手養成所合格。22年にデビュー。22年に日本自転車競技連盟のトラックレース短距離強化指定選手に選出され、自転車競技にも注力するようになった。
6日のチームスプリントで5位に終わり、個人種目でのメダル獲得に懸けていたが、悔しい結果に終わった。
「日々のトレーニング、生活の質を上げて世界と戦いたい。金メダル、銀メダルを争うには遠かった。ロサンゼルス五輪までに到達したい」と4年後に向けて課題を挙げた。
◇太田 海也(おおた・かいや)1999年(平11)7月27日生まれ、岡山県出身の25歳。23年アジア大会で男子スプリントと同男子チームスプリントの2種目で金メダルを獲得。1メートル74、78キロ。