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北野武 パリ五輪ぶった斬り(1)「柔道団体戦の最後のルーレットだってバカバカしいよね。なんだあれ」

スポニチアネックス 2024年8月13日 5時2分

 花の都パリで100年ぶりに開かれた五輪は、選手たちの熱い戦いが世界に勇気と感動を与えた。一方、大会運営を巡っては選手に対する誹謗(ひぼう)中傷やボクシング女子の性別騒動、審判の判定問題などトラブルも目立った。そんな大会をこの人はどう見たのか。フランスの最高位勲章であるレジオン・ドヌール勲章のオフィシエを受章するなど、同国で映画監督として高く評価される北野武(77)がスポニチ本紙の独占インタビューに答えた。(聞き手・伊藤尚平、塩野遥寿)

――17日間の熱い戦いが終わった。閉会式の感想は?

 「時差の関係で放送は早朝だったからね。寝ちゃったなぁ(笑い)。でもやっぱり、ヨーロッパはいいよね。シナトラの歌(※1)を歌ってもいいんだから。日本人だったら太鼓とかになっちゃうのかな」

 ※1 故フランク・シナトラの代表曲「マイ・ウェイ」を、地元歌手が歌唱。「マイ・ウェイ」は、フランスの「コム・ダビチュード」が原曲。

 ――印象に残った選手は?

 「やっぱり、巴投げから関節技に入る角田(夏実)選手(※2)。見てて面白かったね。やり投げの北口(榛花)選手(※3)も凄かった。1投目で勝っちゃったもんね。(早すぎると)IOCから注意が入らなかったのかな(笑い)。あとはやっぱり陸上はアフリカ勢が強いなと思うよね。はだしで走っていたアベベ(※4)が連覇した時ははだしで走ると足が切れて血が出て、そのにおいを嗅ぎつけたヒョウなんかが追いかけてくるから速くなったんだって、当時はみんなが思ってたほどだよ。日本の陸上選手もアフリカでトラやなんかに追いかけられなきゃダメだって平気で言ってたんだから。そしたら東京五輪でアベベ見たら靴履いてやがって。それでも全然速かった。なんだよって(笑い)」

 ※2 柔道女子48キロ級で金メダル。今大会の日本勢メダル第1号。

 ※3 陸上女子やり投げで金メダル。1投目で65メートル80のビッグスローで先行逃げ切り。

 ※4 64年東京大会で、2時間12分11秒の世界記録を出して五輪連覇したエチオピア代表アベベ・ビキラ。

 ――最も印象に残った出来事は?

 「ボクシングでは性別問題(※5)などいろいろあった。本当は言いたいこといっぱいあるけど、フワちゃんみてえにまた叩かれちゃうから(笑い)。俺は叩かれて仕事なくなったらありがたいくらいだけど」

 ※5 ボクシング女子57キロ級台湾代表の林イクテイと、女子66キロ級アルジェリア代表のイマネ・ヘリフが金メダルを獲得。ともに昨年の世界選手権では性別適格検査で不合格となっていたが、IOCは出場を認可。ネット上では「男だ」などの誹謗中傷が起きた。

 ――ブレイキンが今大会導入された。

 「種目が多すぎてよく分からないよな。五輪ではやっぱり100メートルとか水泳とか、いかに人間は速く、凄くなれるかというのを見たい。ブレイキンやスケボーは昔だったら町のあんちゃんがやっていたスポーツ。種目をいっぱい増やして、それでもうけようとして無理やり種目増やしてるだけでしょ。踊りの対決するんだったら、サンバカーニバル対阿波踊りなんてのはどうだ?何がなんだか分かんないけど(笑い)」

 ――判定を巡る問題もあった。

 「1964年の東京五輪前あたりから、柔道が五輪競技になるために、柔道精神なんてのは完全に売っちゃったってことだからね。国際的な意見をみんなOKして、どうにか柔道が国際的になったのに、フランスが強くなったら結局ヨーロッパの言いなりになってきて。結局なんだか訳分かんねえな。柔道団体戦の最後のルーレット(※6)だってバカバカしいよね。なんだあれ」

 ※6 柔道混合団体の決勝で日本とフランスが対戦。決着をつけるため、ルーレットで選ばれた階級区分の選手による代表戦が実施。選出されたのは男子90キロ超級で、地元フランスは絶対王者のテディ・リネールが出場し、日本の斉藤立に勝って金メダル。SNSでは「ヤラセ」「ズルーレット」などの批判があがった。

 ――選手への誹謗中傷も相次いだ。

 「昔は、隠れて人の悪口言ってるのは相手にしなかったけど、今は取り上げるようになったから。取り上げなきゃいいんだと思うよ。俺は(自分への誹謗中傷は)腹立つから絶対に見ないけど。種目数を増やしたいんだったら『誹謗中傷』っていう競技を作ればいいんじゃない。2人で“このバカ野郎!”とか“この胴長!”とか“なんだお前の顔は!”みたいにみんなで悪口言ってな。そういうゲームもありなんじゃないか」

 ◇北野 武(きたの・たけし)1947年(昭22)1月18日生まれ、東京都出身の77歳。72年にビートきよしと「ツービート」を結成。89年に「その男、凶暴につき」で監督デビュー。99年にフランス芸術文化勲章「シュバリエ」、10年に同「コマンドール」を受章。15年には仏シャンパーニュ騎士団から「シャンベラン・ドヌール(名誉侍従)」を叙任。

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