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高石ともやさん 有森裕子さんの名言「自分で自分をほめたい」誕生のきっかけ 言葉の力を伝え続けた

スポニチアネックス 2024年8月19日 9時47分

 フォーク歌手の高石ともや(本名・尻石友也=しりいし・ともや)さんが17日、京都市内の病院で死去した。82歳。北海道出身。葬儀は近親者のみで行う。後日、お別れの会を開く予定。

 立教大在学中にボブ・ディランらの歌を訳し、フォークソングを歌い始めた。1966年に「かごの鳥のブルース」でデビュー。現代社会へのメッセージ性の強い歌で、学生運動全盛期の京都を中心に活動。68年には「受験生ブルース」が大ヒットし、関西のフォークソング界をけん引した。一時活動を休止したが、71年にバンド「ザ・ナターシャー・セブン」を結成し、京都市内に事務所を構えて再開。全国各地で野外コンサートを開いた。「年忘れコンサート」は昨年末まで61回を数えた。また、80歳を迎えた2022年には大阪市内での取材会で「あと10年ぐらいで自分のフォークソング史をつくりたい」と90歳までの現役続行を宣言していた。最近では入院し療養していた。

 「メッセージ・フォークの旗手」とも呼ばれた高石さんは、言葉の力を伝え続けた。1996年アトランタ五輪の女子マラソンで、銅メダルを獲得した有森裕子さんが涙ながらに語った「初めて自分で自分をほめたい」の名言は高石さんの言葉がきっかけだった。

 有森さんがまだ高校生で陸上部の補欠で結果を出せていなかった1984年、京都で開かれた女子駅伝の開会式で、当時、京都陸協の審判員を務めていた高石さんが「この大会に選ばれたことを、自分で自分をほめてあげてください」から始まる詩を読み上げた。「自分で自分を…」。この言葉が心に響いた有森さんはすぐにメモを残し、いつか自身が言えるようになることを目標に、日記にはさんでいたという。のちに、有森さん本人からこのことを聞いた高石さんも「自分の言葉が伝わったことがうれしかった」と喜んでいた。

 自身も国内外のマラソン、トライアスロンの大会にも数多く参加。81年には日本初のトライアスロン大会「皆生トライアスロン’81」で優勝。ホノルルマラソンでは77年から参加して毎年出場し、昨年まで47年連続で出場するなど、マラソンランナーとしても活躍していた。

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