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ドジャース・大谷 走り方の進化 日本ハム時代のトレーナーが語る「あえて」高く上げない脚

スポニチアネックス 2024年8月25日 1時32分

 ◇インターリーグ  ドジャース7―3レイズ(2024年8月23日 ロサンゼルス)

 【ヤナギタイムズ】日本ハム時代の13年12月から大谷を本格取材し、TBS系情報番組「ひるおび」、「ゴゴスマ」などに随時出演するスポニチ本紙MLB担当・柳原直之記者(38)の連載コラム「ヤナギタイムズ」。30歳を迎え「40―40」を達成したドジャース・大谷の走塁はどう進化しているのか。日本ハム時代にコンディショニング担当を務め、大谷と二人三脚で歩んできた白水(しろず)直樹氏(45)に話を聞いた。鍵はスピードの維持と、コンディショニングの向上にあった。

 白水氏はテレビ越しに走り方の変化を感じ取っていた。「あえて脚を上げずに走っているように見える」。脚を上げる高さを極力抑え、そのパワーを前方への推進力に変えて先の塁を奪う。「かかとを臀部(でんぶ)に近づけるようにカールした後に地面を強く蹴るようにする運動のほうが力感があるが、太腿裏が張りやすくなる。目的は前に進むこと。どうすれば1カ所に負担が来ない走り方ができるか考えながら走っている」と推察した。

 04~10、14~17年に日本ハムでコンディショニング担当を務めた。「当時の大谷は太腿裏の肉離れなど足の故障が多かった。元々、出力が大きく、さらに筋量が増えることで、脚の力だけで走ってしまうことも多かった」。かつての短距離選手のように脚を高く上げる走り方は爆発的なパワーを生むが、負担は大きい。長いシーズンを戦うプロ野球選手、特に出力の大きい大谷向きではなかった。

 当時は白水氏と、メディシンボールやバーを使って重心移動ドリルを反復し、運動感覚や意識のコントロール能力を磨いた。正しい体の使い方を追い求めた。日本ハム時代は16年の7盗塁が自己最多だった。昨季までの自己最多26盗塁をマークした21年シーズン後の帰国時、都内で話し合った。「コンディションを整えることと、走力を上げることの両方を可能にするにはどうすればいいか。そういう話をした」。出力を極力維持したまま、負担をどう軽減できるか。トップコンディションを年間キープして、全力疾走で駆け抜けられる走り方を、地道に模索し続けてきた。

 7月5日に30歳を迎えた。白水氏は「一般的に20代後半を超えると筋力や出力の衰えを技術的なことで補う時期に来るが、大谷はまだその時期ではないように見える」と“伸びしろ”に期待する。一方で「出力、筋力の衰えより、回復力の衰えを先に感じるかもしれない」とも指摘した。

 記者間ではよく「まだ大谷が達成していない記録は、球宴での本塁打とサヨナラ弾」と話題に上がっていたが、今季一気に達成。まさか「40―40」を日本選手初のサヨナラ満塁弾で同時達成するとは予想できなかったが、同時にいつだって想像を超えてくる“大谷らしさ”も感じた。日本ハム時代からの地道な取り組みが生んだ偉業。天井はまだ見えない。

 ◇白水 直樹(しろず・なおき)1979年(昭54)2月5日生まれ、札幌市出身の45歳。駒大岩見沢3年春に甲子園出場。駒大を経て、筑波大大学院修了。04~10、14~17年に日本ハムでコンディショニング担当を務めて、ダルビッシュ(現パドレス)、近藤(現ソフトバンク)、大谷らのトレーニングをサポートした。19~20年は、巨人でトレーニングコーチ。22年に都内にパーソナルジム「PROGRESS Sports Performance Lab.」をオープンした。

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