Infoseek 楽天

「虎に翼」原爆裁判 異色ラスト4分「実際とほぼ同じ」判決文のワケ NHK解説委員語る史実とドラマ裏側

スポニチアネックス 2024年9月6日 8時16分

 ◇「虎に翼」NHK解説委員・清永聡氏インタビュー

 女優の伊藤沙莉(30)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「虎に翼」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は6日、第115回が放送され、主人公・佐田寅子も担当した「原爆裁判」が結審した。この日のラストは裁判長・汐見圭(平埜生成)が約4分、判決文を読み上げるだけという異色の描写。オンエア後(午前9時)には「政治の貧困」(12位)「よねさんの涙」(35位)「主文後回し」(36位)「判決理由」(37位)と関連ワードが続々と「X(旧ツイッター)」の国内トレンド入り。反響を呼んだ。モデルとなった女性法曹・三淵嘉子氏の生涯と家庭裁判所の歴史をまとめた「家庭裁判所物語」の著者で、今作に「取材」という役割で参加しているNHK解説委員・清永聡氏に制作の背景となる史実とドラマの舞台裏を聞いた。

 <※以下、ネタバレ有>

 向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田恵里香氏がオリジナル脚本を手掛けた朝ドラ通算110作目。日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子氏をモデルに、法曹の世界に飛び込む日本初の女性・佐田寅子(ともこ)の人生を描く。吉田氏は初の朝ドラ脚本。伊藤は2017年度前期「ひよっこ」以来2回目の朝ドラ出演、初主演となった。

 「原爆裁判」とは、1945年(昭和20年)8月に広島と長崎に投下された原子爆弾の被害者が日本政府に賠償を求めた裁判。原告は広島と長崎の被爆者5人。1955年(昭和30年)4月に提訴され、1963年(昭和38年)12月に判決が言い渡された。27回、4年に及ぶ弁論準備手続を経て、1960年(昭和35年)2月から63年3月まで9回の口頭弁論が開かれた。裁判長と左陪席は異動により交代していったが、右陪席は最初から最後まで三淵氏が務めた。

 今作の流れを振り返る。

 <第20週・第98回(8月14日)>1955年(昭和30年)、弁護士・雲野六郎(塚地武雅)と岩居(趙〓和)が原告代理人を担当。老境の雲野は、山田よね(土居志央梨)と轟太一(戸塚純貴)にサポートを依頼。よねは即決した。

 <第20週・第100回(8月16日)>1955年(昭和30年)、第1回準備手続(裁判を円滑に進めるため、事前に行う論点整理作業)。国側は請求棄却を求めたのみ。

 <第21週・第104回(8月22日)>1955年(昭和30年)10月、原爆裁判の第2回準備手続。被告代理人・反町忠男(川島潤哉)は原告側の訴訟内容をすべて否認する答弁を提出、国側に賠償責任はないと主張。原告側は真っ向から対立、さらなる釈明を求めた。

 <第22週・第106回(8月26日)>1956年(昭和31年)2月に第4回準備手続が行われ、反町は「これは法律問題ではなく、政治問題です。戦争に負けた国が、勝った国に賠償を請求した例はなく、賠償請求権が放棄されるのが慣例。放棄される宿命なのです」と主張。雲野は「そんな言葉(宿命)で括っていただきたくないですな」と反論した。

 <第23週>第1回口頭弁論の期日が1960年(昭和35年)2月に決まったと、雲野がよねと轟に報告した席で倒れ、急逝。第1回口頭弁論を傍聴したのは、記者・竹中次郎(高橋努)のみだった。1961年(昭和36年)6月、原告側の鑑定人尋問。その後、被告側の鑑定人尋問。双方の国際法学者の見解は割れた。1962年(昭和37年)1月の裁判前日、原告の一人、吉田ミキ(入山法子)が広島から上京。法廷には立たず。轟が手紙を代読した。1963年(昭和38年)3月、最終弁論。同年12月、判決が言い渡された。

 寅子のモデルである三淵氏が配属されたのは、東京地方裁判所民事第二十四部。専門的な事案を扱う「行政部」「労働部」などとは異なり「一般的な民事裁判を扱う『通常部』というところになります。それまで三淵さんも名古屋地裁で民事部に所属していましたので、東京地裁でも多様な訴えを扱う民事の通常部に配属されたということになります」と清永委員。

 第二十四部が原爆裁判を扱うことになったのは「三淵さんがいるから、ということではないと思います。地裁では、どの訴えが回ってくるかは基本的には機械的に決められます。また、原爆裁判の提訴は三淵さんが着任する前年で、彼女が来た時には、既に準備手続が始まっていました。このため、三淵氏が原爆裁判を担当したのは“偶然の産物”だったとみられます」

 裁判長は汐見、右陪席は寅子、左陪席は漆間昭(井上拓哉)。右陪席の方がキャリアが上、当時の準備手続では一番若い左陪席が一人で担当することが多かったという。記録を読むと実際の原爆裁判も、準備手続は左陪席が担当している。

 史実としては、合議の末、左陪席・高桑昭氏による草稿に、裁判長・古関敏正氏と右陪席・三淵氏が加筆・修正し、判決文が完成したとみられている。合議の内容は明らかになっていない。三淵氏は結審後の1963年(昭和38年)4月、東京家庭裁判所に異動。ドラマとは違い、判決言い渡しの法廷に三淵氏の姿はなかった。

 「彼女は裁判が結審する63年3月まで、東京家庭裁判所と東京地裁の兼務をしています。ここから先は想像になりますが、結審まで“地裁と兼務”にしたのは、自分も判決文を書きたいと強く希望したからじゃないでしょうか。家裁の仕事をしながらも、自分が一番長く携わってきた原爆裁判への思い入れが感じられます」と推察した。

 ドラマで原爆裁判を描くことは当初から想定されており、清永委員は「三淵さんのキャリアにとっては大きな出来事ですから、『虎に翼』で触れないという選択肢はありません。簡単なテーマではないですが、正面から向き合おう、というのがスタッフ全員の共通認識でした。他のメディアから『原爆裁判について触れるのか?』と聞かれたこともありましたが、私自身も当然描くものだと最初から覚悟していましたし、『家庭裁判所物語』を書いた時から数年かけて原爆裁判の証言や資料を集めていましたから、何かあらためての決意があったわけでもありません」と振り返った。

 その中で最も心掛けたのは「広島と長崎の人たちに対して誠実に伝える内容にしよう、ということ。スタッフ一同、その思いで取り組みました」。真摯な姿勢は、準備手続の描写にも表れた。

 第1回準備手続。岩居は訴状の内容を読み上げ「人類の経験した最大の残虐行為によって被った原告らの損害に対し、深くして高き法の探求と、原爆の本質に対する審理を得て、請求の趣旨、記載のごとき判決を賜らんことを待望いたす次第であります」と述べた。

 清永委員は「準備手続は27回もあって、もちろん全部は描けませんでしたが、この岩居の言葉は、日本反核法律家協会会長・大久保賢一さんの事務所(埼玉県所沢市)に保管されている『第一回準備手続』の調書にあった『原告代理人等訴状陳述』という文言をそのまま台詞にしています。ドラマとしては裁判の準備手続なんて机に座っているだけで地味なので、普通は省くと思うんですが、脚本の吉田さんはそうしたシーンも省略せず盛り込んでくれました。制作に入る前、私はスタッフを日本反核法律家協会の事務所に連れていって、保管されている原爆裁判の資料を見てもらい、大まかな裁判の経過を把握してもらいました。それを踏まえてドラマとして視聴者の皆さんを惹きつける興味深い内容に仕上げたのは、吉田さんをはじめ、スタッフやキャストの皆さんの力量です」と称賛した。

 寅子は裁判長ではないため「訴訟指揮は汐見が行います。ドラマとしては、なおのこと描きにくいですよね。そこで、寅子と縁が深い雲野と岩居を原告代理人にし、盟友のよねと轟を弁護団に入れるオリジナルの展開が非常に巧いと思いました」。雲野というキャラクターのモチーフになったのは、人権派として在野の弁護士を貫いた海野普吉氏(1885―1968)。ただし海野弁護士は原爆裁判には携わっておらず、実際に中心となって担当した大阪の弁護士・岡本尚一氏(1892―1958)もモチーフとして採り入れた。

 「ドラマの雲野は、史実の岡本弁護士の役割も担っています。原爆裁判に寝食を忘れて取り組んでいたという岡本弁護士先生は苦労を重ねた結果、裁判の途中で亡くなってしまいますが、実際の海野弁護士は岡本弁護士とともに被爆者の支援活動もしていました。そういう関係性があるので、ドラマの雲野はお二人をモチーフにしたキャラクターとなりました。これも吉田さんの力量で、史実とオリジナルを見事にミックスしたと思います」

 この日のラスト約4分は、汐見が判決文を読み上げるだけの異色の作劇・演出。平埜が抑えた演技を披露した。

 「特に読み上げた後半部分は、実際の『原爆裁判』の判決文とほぼ同じになっています。私も架空の文章を作るのではなく、実際の判決文をできるだけそのまま汐見裁判長に読んでもらいたいと思いました。ここはチーフ演出の梛川(善郎)ディレクターも制作統括の尾崎(裕和)チーフ・プロデューサーも、石澤(かおる)プロデューサーも一致していたのです。それが、このチームの凄さだと思います」

 ◆清永 聡(きよなが・さとし)1970年(昭和45年)生まれ。93年、広島大学文学部卒業後、NHK入局。最初の赴任地は宮崎放送局。社会部記者として気象庁、内閣府、司法クラブを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。専門は戦中・戦後の司法。主な著書に、刑事司法や少年司法の実務と理論の発展のために設けられた第6回守屋賞(2018年)を受賞した「家庭裁判所物語」(日本評論社)「戦犯を救え――BC級『横浜裁判』秘録」(新潮社)。「気骨の判決」(新潮社)は09年にドラマ化された。毎週金曜日の「午後LIVE ニュースーン」(月~金曜後3・10)などで「虎に翼」の深堀り解説をしている。

 【参考文献】清永聡編著「三淵嘉子と家庭裁判所」(日本評論社)

この記事の関連ニュース