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【パラリンピック】金色の涙!小田凱人が運命のパリで18歳史上最年少V 名の由来の地で日本勢“連覇”

スポニチアネックス 2024年9月8日 1時1分

 ◇パリ・パラリンピック第11日 車いすテニス(2024年9月7日 ローランギャロス)

 車いすテニス男子シングルスの決勝が7日に行われ、第2シードの小田凱人(18=東海理化)が第1シードのアルフィー・ヒューエット(26=英国)を6―2、4―6、7―5で破り、史上最年少金メダルに輝いた。小田は三木拓也(35=トヨタ自動車)と組んだダブルスは銀メダルで、初出場のパラリンピックで2つのメダルを獲得。この種目の日本勢では、21年東京大会など3度優勝の国枝慎吾に次いで2人目の金メダリストとなった。

 第1セット第1ゲームの自身のサービスをキープした後にアクシデントが起きた。相手のヒューエットが左脚付け根を痛め、開始早々にメディカルタイムアウトを取ることに。一人コートでアップしながら待った。ヒューエットが観客に手を振りながらコートに戻り、試合再開。小田は開始直後の相手サービスをブレークすると一気に4ゲームを連取した。第5ゲームに相手がドロップショットを繰り出すなどプレーに変化をつけてきてブレークを許したが、すぐにブレークバックし、最終的に第1セットを6―2で奪った。

 過去の対戦成績は7勝8敗。シードも上のライバルを第1セットで圧倒した小田は、第2セット第1ゲームも気迫を前面に出しキープした。セットカウント2―1で迎えた相手サーブ。10度のデュースの末にキープを許すと、しびれる激闘にローランギャロスが沸きに沸いた。

 第4ゲームのキープで勢いを取り戻したヒューエット相手にサービスゲームではチャンスを与えずキープを続けてきたが、第9ゲームでブレークを許す苦しい展開になり第2セットは4―6で落とした。

 最終第3セット第1ゲームのサーブをブレークされ、完全に流れを奪われる中、セットカウント1―3から執念の逆転。歴史に残る大激闘を制し、悲願の金メダルをつかみ取った。

 そしてコート上で行われたインタビューで開口一番、瞳を潤ませながら「ヤバい…格好良すぎる俺」といつもの“小田節”。「もうマッチポイントから相手がドロップショットをミスって、ああもうこれ勝てると思って…。でもそれまでは、負けると思っていました、正直。試合前は負ける気なかったけど、負けると思っていました」と完全に流れを失った場面を素直に振り返りながら涙を見せ、「俺は今日勝ったことで確定させたことがある。俺はこのために生まれてきた!この金メダルを獲るために生まれてきました俺は」と喜びを爆発させ、テレビカメラに口づけをした。

 「国枝慎吾の後継者」が、国枝さんからパラリンピック金メダリストの称号を継いだ。昨年、史上最年少の17歳で四大大会を制した全仏オープンと同じコートで、決勝の相手も同じヒューエット。6日のダブルス決勝ではヒューエット、リードの英国ペアに完敗したが、「全てを出し切った。胸を張りたい」と気持ちを切り替えた。過去の対戦は7勝8敗ながら、クレーコートでの対戦は2戦2勝。一夜明けて現世界ランキング1位にリベンジした。

 9歳で左股関節に骨肉腫を発症し、50メートル走で学年トップだったサッカー少年は車いすが必要となった。だが、闘病中に国枝さんが12年ロンドン・パラリンピックでプレーした際の映像を見て、「この人みたいになりたい」と車いすテニスを始めた。自称“国枝マニア”で、子供の頃は車いすやラケットの色、ガッツポーズやタオルで汗を拭うしぐさのほか、サーブの前に地面にボールをつく回数まで全てをまねた。15歳でプロに転向して早くも4大大会4勝。憧れだった国枝さんへの道を歩みつつある。

 国枝さんがそうだったように、パラスポーツの魅力を伝えることにも熱心だ。「今度は自分がきっかけを与えられる存在になりたい」と多忙なシーズンの合間にも体験会に足を運ぶ。パリ・パラリンピック前には積極的にメディアに出演し、大会と自身、そして車いすテニスをアピールした。「今はパラリンピックは五輪のついでみたいになっているけど、僕が五輪を超える衝撃を与える」。凱人(ときと)という名前は、パリの名所・凱旋門をイメージした両親が「勝ちどきを上げる意味」から名付けたもの。パラアスリートの顔になりつつある18歳が、「運命」を感じていたパリで勝ちどきを上げた。

 小田はすでに全豪、ウィンブルドン、全仏のタイトルをつかんでおり、あとは全米のタイトルだけ。早くも生涯ゴールデンスラムに王手をかけた。

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