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「虎に翼」“愛の家裁”守り続けたモデル三淵嘉子氏 NHK解説委員「最大の功績」最終章は少年法の問題

スポニチアネックス 2024年9月13日 8時17分

 ◇「虎に翼」NHK解説委員・清永聡氏インタビュー

 女優の伊藤沙莉(30)がヒロインを務めるNHK連続テレビ小説「虎に翼」(月~土曜前8・00、土曜は1週間振り返り)は「最終章」に突入。主人公のモデルとなり“家庭裁判所の母”と呼ばれた女性法曹・三淵嘉子氏も対象年齢の引き下げ阻止に尽力した少年法の問題が描かれる。三淵氏の生涯と家庭裁判所の歴史をまとめた「家庭裁判所物語」の著者で、今作に「取材」という役割で参加しているNHK解説委員・清永聡氏に話を聞いた。三淵氏最大の功績とは?

 <※以下、ネタバレ有>

 向田邦子賞に輝いたNHKよるドラ「恋せぬふたり」などの吉田恵里香氏がオリジナル脚本を手掛けた朝ドラ通算110作目。日本初の女性弁護士・判事・裁判所所長となった三淵嘉子氏をモデルに、法曹の世界に飛び込む日本初の女性・佐田寅子(ともこ)の人生を描く。吉田氏は初の朝ドラ脚本。伊藤は2017年度前期「ひよっこ」以来2回目の朝ドラ出演、初主演となった。

 三淵氏が裁判官の一人を務めた「原爆裁判」は、1963年(昭和38年)3月に結審。その後、三淵氏は東京家裁に異動し、少年審判で多くの少年少女と向き合った。

 三淵氏の功績について、清永委員は「昭和40年代、少年犯罪の件数が戦後2度目のピークに達し、パンクしそうになった家庭裁判所で『草創期の基本理念を守り続けた』ことが最大の功績だと思います。当時は少年事件の急増に伴って、家裁は短時間で多くの案件を処理することが求められるようになりました。ところが、多岐川(滝藤賢一)のモチーフになった“家庭裁判所の父”宇田川潤四郎さんが掲げたのは、関係機関と積極的に連携し、福祉的機能も大事にしながら、時間をかけてでも少年少女1人1人の健全育成を目指すという理念です。三淵さんはいわば、困難な時代の中でも宇田川さんが理想とした“愛の裁判所”という灯を灯し続けたわけです」と解説。

 「数年前も似た議論がありましたが、1970年に国の法制審議会は少年法の対象年齢を事実上引き下げる内容の諮問を行いました。この部会で委員だった三淵さんは一貫して反対し、最終的に引き下げは見送られる結果となりました。もし当時、少年法の対象年齢が引き下げられた上、少年事件の機械的な処理対応が推し進められていたら、家庭裁判所の姿は今とは大きく異なっていたのではないかと思います。三淵さんの取り組みは今、再評価されています。決して私が一人で考えていることでなく、三淵さんを知る人に取材をすると、昭和20年代(司法省事務官、最高裁家庭局、名古屋地裁判事)よりも、むしろ昭和40年代に少年少女と向き合っていた彼女の姿勢を称える方が多くいます」

 戦後、民法改正や家裁創設に携わった三淵氏のキャリアも大きく影響した。

 「ドラマでも描かれましたが、桂場(松山ケンイチ)に直談判して(第46回、6月3日)即、どこかの地裁の裁判官になっていたら『女性法曹の草分け』だけで終わっていたかもしれません。寅子も三淵さんご本人も、最初は裁判官になることができず、司法省や最高裁事務総局に勤務しました。当時、ご本人はこのことにやや不服だったようですが、結果として民法改正や家庭裁判所創設に携わるという得難い経験を積むことになり、のちに大輪の花が咲いたんだと思います」

 第120回(9月13日)、多岐川の遺志を継いだ寅子。その法曹人生の“集大成”を見守りたい。

 ◆清永 聡(きよなが・さとし)1970年(昭和45年)生まれ。93年、広島大学文学部卒業後、NHK入局。最初の赴任地は宮崎放送局。社会部記者として気象庁、内閣府、司法クラブを担当。司法クラブキャップ、社会部副部長などを経て現職。専門は戦中・戦後の司法。主な著書に、刑事司法や少年司法の実務と理論の発展のために設けられた第6回守屋賞(2018年)を受賞した「家庭裁判所物語」(日本評論社)「戦犯を救え――BC級『横浜裁判』秘録」(新潮社)。「気骨の判決」(新潮社)は09年にドラマ化された。毎週金曜日の「午後LIVE ニュースーン」(月~金曜後3・10)などで「虎に翼」の深堀り解説をしている。

 【参考文献】清永聡編著「三淵嘉子と家庭裁判所」(日本評論社)

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