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【鳴尾浜の思い出】開場時の寮長、梅本正之氏「親御さんから預かった大事な宝を育てるのに必死」

スポニチアネックス 2024年9月26日 5時17分

 阪神2軍は25日のウエスタン・リーグ、ソフトバンク戦で鳴尾浜球場での最後の公式戦を終えた。1994年秋の開場から「虎の穴」として数多くの選手を輩出し、来年3月に尼崎市内の新拠点へ移転する。開場時の寮長だった梅本正之氏(88)が思い出を寄せた。

 鳴尾浜も最後かと思うと時の流れを感じるね。1994年にできた当時は12球団でも立派なファーム施設だったよ。他球団に新しい施設ができ、鳴尾浜も古くなった。もう30年か。寂しいが、ご苦労さんと言いたいね。

 虎風荘の寮長は84―95年、98―2003年と計18年間務めた。寮が甲子園から鳴尾浜に移った頃はコーチとしてユニホームも着ていたからノックもよく打った。63年に藤本定義監督から引退を勧められ「ノックで生きてみい」。後に「ノックの名人」と言われたのは内心誇りだったよ。

 「鬼軍曹」と呼ばれたが、親御さんから預かった大事な宝を育てるのに必死だった。妻はよく「あなたにとっては寮は家、選手は子ども」と言う。今は娘1人、孫3人、ひ孫5人の良き88歳のおじいちゃんですよ。

 阪神大震災は大変だった。球場のポールが曲がり、グラウンドが液状化、水も止まった。甲子園まで水をくみに行き、食堂の女性が作ったカレーを尼崎まで受け取りにいった。

 いろんな選手がいたなあ。懐かしいなあ。

(談=元虎風荘寮長)

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