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【ドジャース球団社長単独インタ】大谷翔平が生んだ効果「シナジーに驚いている」「多くの企業が順番待ち」

スポニチアネックス 2024年9月27日 17時48分

 ドジャースのスタン・カステン球団社長(72)が本紙の単独インタビューに答えた。大谷がチームにもたらした相乗効果を想像以上と高く評価。チームのみならず大リーグ全体へ大きな波及を見せており、その貢献ぶりを強調した。大谷とは今季から10年総額7億ドル(決定時約1015億円)の大型契約を結んでおり、ともに常勝軍団として歩むことを誓った。(聞き手・奥田秀樹通信員)

 ――昨年12月の入団からここまで、球団にもたらしたものは?

 「これまで見たことのないシナジー(相乗効果)に驚いている。まず彼はドジャースをもっと良いチームにしてくれると期待したが、確実に成し遂げた。次にロサンゼルスの日本人コミュニティーにインパクトを与えてくれると考えていたが、予測をはるかに超える効果が得られた。年齢、性別、人種、職業、住んでいる地域など関係なく、ロサンゼルス中の人々を魅了した」

 ――大谷ブランドとドジャースブランドが結び付いた。

 「ドジャースブランドは以前から世界に浸透していたが、翔平が加わり最高の組み合わせとなり、大リーグ全体にも大きなプラスになった。大リーグのブランドも強化され、世界規模でビジネスの発展に貢献した。米国や日本だけではない、野球人気が伸び悩んでいた国も含まれている」

 ――日本企業とのスポンサー契約も、一気にふくれ上がった。

 「来季にはドジャースタジアムで新たな広告枠が利用可能になるが、多くの企業が順番待ちをしている状態だ。重要なのは、野球というスポーツへの注目度が高まり、その地位と人気が向上したこと。翔平は新しいファンをたくさん引き寄せ、球場での観戦を通じて野球に興味を抱き、好きにさせていく。ドジャースだけでなく全ての球団にとっても素晴らしいこと」

 ――10年総額7億ドル(決定時約1015億円)の契約は世界を驚かせた。

 「当時も満足していたし、今でも満足している。翔平はFAであり、自分の行きたいチームを選ぶ権利があった。我々はチームの魅力を伝え、選んでもらえるよう説得する必要があった。彼のキャリアと人生にとって、ドジャースが最適な選択であることを示さなければならなかった」

 ――驚いたのは、大谷が年俸の後払い方式を提案したこと。

 「私も驚いた。これまでも後払いの契約を結んできたが、これほどの規模では初めて。しかし彼の考え方を理解し、彼自身のニーズや税金、他の収入源を考慮すると、このアプローチがとても緻密に練られたものであることが分かった。彼と我々の両方にとって最適な選択だったと思う」

 ――契約後、すぐに大谷はグラスノーや山本の勧誘も手伝った。

 「彼は自発的に手助けしてくれたが、我々もそれを願っていた。他の選手たちも過去に同じことを行っているが、中にはやりたがらない選手もいるし、誘う選手のことを良く知らないケースもある」

 ――山本の投球はどう評価しているか?

 「今季の早い段階で、大リーグでもトップクラスの投手であることを証明した。登板ごとに内容が向上し、将来どれほど素晴らしい投手になるかと期待している。不運にもケガをしてしまったが、9月に復帰し、10月のポストシーズンではローテーションの重要な役割を担ってくれることを期待している」

 ――今年の韓国ソウルに続き、来季は東京ドームで開幕戦を戦う。2年連続で海外で開幕戦を迎えることは大きな負担にはなる。

 「確かに簡単ではないが、東京シリーズは我々にとってもとてもうれしい要請だったし、世界中の人々にとっても素晴らしいニュースだと思う。大谷が日本に戻ってプレーするのを世界中の人々が見たいだろうし、山本についても同じ。国際的な大イベントで、その中心にいられることを誇りに思う」

 ――大谷と契約した今後の10年間、チームがどのように進化していくことを望むか?

 「毎年ワールドシリーズに勝ちたい。それが本当でシンプルな答え。でも現実的にはなかなか起こりえない。それでも、常に優勝争いの中にいたいし、毎年頂点を目指す。翔平とも同じ方向を向いており、同じ考えを共有している」

 ◇スタン・カステン 1952年2月1日生まれ、米ニュージャージー州出身の72歳。コロンビア大を卒業し、27歳の史上最年少でNBAホークスのGMに就任し、86年から球団社長兼任。同年にはMLBブレーブスの球団社長にも就任した。ブ軍では14年連続地区優勝を果たし、95年には世界一。その後ナショナルズの球団社長も勤め、12年4月にドジャースの球団社長に就任した。

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