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ピート・ローズさん悼む サインに必ず「#4256」 最後までイチの“日米合算”認めず

スポニチアネックス 2024年10月2日 1時31分

 ◇ピートローズさん死去

 ピート・ローズさんに初めて会ったのは18年前の06年。ネバダ州ラスベガスのショッピングモール内でサイン会を開催していた。と言っても並んでいる人はゼロ。「本物?」と疑いながら店内に入ると、暇そうに時間をつぶしているローズさんがいた。日本人だと分かると、目の前にある紙に「ピートローズ」とカタカナで書いた。

 「私はMLB担当の新聞記者で、イチローを取材していた」と素性を明かすと、表情が一瞬、曇った。メジャー1年目の01年からシーズン200安打を継続していたイチロー。ローズさんと比較されることも多かった。「イチローについてどう思うか?」と聞くと、「その前に何か購入してくれ」と言われた。店内にあるグッズで一番安かった大リーグ公式球を購入すると、サインをしながら話し始めた。

 「イチローはいい選手だ。でも、日本の記録は別物だぞ。日本のプロ野球とMLBは同じではない」。イチローが08年に日米通算3000安打、13年に4000安打を達成する際には多くの日本のメディアが取材に訪れたが「日本の記録を含めるのは違う」という主張は一貫していた。

 永久追放されたローズさんは晩年はラスベガスで暮らし、月の半分以上、午前11時半から午後6時までサイン会を開催していた。米メディアによると、亡くなる前日の29日もテネシー州ナッシュビルで70年代のレッズの往年のメンバーと一緒にサイン会を行っていたという。ローズさんは車椅子姿だった。

 サインには必ず「#4256」としたためる。ローズさんの通算安打数だ。これまで書いたサインは何千、いや何万。表舞台から姿を消したローズさんにとって、それが自らのプライドを示す唯一の手段だったのだろう。(元MLB担当、編集総務・甘利 陽一)

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