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【内田雅也の追球】ミスター・タイガースが熱望した「選手権」 さあCSを突破して、晴れ舞台へ

スポニチアネックス 2024年10月3日 8時0分

 10月2日は日本のプロ野球で初めてサイクル安打が記録された記念日だった。1948(昭和23)年のことで、達成したのは「ミスター・タイガース」藤村富美男である。甲子園での金星スターズ戦だった。

 記録は後に認定されたものだ。当時の日本にサイクル安打の概念はなかった。17年後の65年7月16日、阪急のダリル・スペンサーが近鉄戦(西京極)で達成した際、記者団に「なぜ自分に質問をしてこないのか。これはサイクル安打といって、とんでもない記録なんだ」と話し、さかのぼって記録が調べられ、藤村が最初の達成者だと判明した。藤村は50年にも2度目を記録しており、そのすごさが再認識された。

 さすがの千両役者である。長嶋茂雄が中学生時代、藤村にあこがれたのは有名な話だ。

 そんな藤村だが、58年限りで現役を引退する際、心残りがあった。

 49~50年の2リーグ分立当時、主力選手の多くが新球団・毎日(現ロッテ)に移った。藤村は「出てったもんと、残ったもんと、どっちが勝つかはっきりさせようじゃないか」と語った。

 ただ、毎日は50年、パ・リーグで優勝し、第1回日本シリーズ(当時の名称は日本ワールドシリーズ)に出場。藤村は悲願の日本シリーズ出場を果たせなかった。

 藤村がどれほど日本シリーズ出場を望んでいたことか。後年、雑誌『Number』84年4月20日号で語っている。

 「かつて(2リーグ分立時)の仲間が選手権試合に出場するのを見て、うらやましい気持ちが強かったんですわ。良かったなあ……心から、そう思えましたんや」

 藤村は日本シリーズを「選手権」と言っている。古い野球人はよく使う。正式名称は「プロ野球日本選手権シリーズ」である。

 「私たちと同じ世代の人間はみんな選手権試合をしとるさかいね……。長い野球生活で経験できんかったんは選手権試合の出場だけでしたんや。そない思うと、なさけのう思いましたんや」

 いまの阪神の選手たちに「ミスター」の声を届けたい。「選手権」は素晴らしい。昨年日本一を経験した選手たちも知っている。そして、今年もまた、晴れ舞台に出るチャンスは残っている。クライマックスシリーズ(CS)という道はそこにある。

  =敬称略=

 (編集委員)

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