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ヤクルト・青木 万感引退試合 フル出場で有終の2安打「21年間、夢中になって突っ走ってきました」

スポニチアネックス 2024年10月3日 5時32分

 ◇セ・リーグ ヤクルト5―3広島(2024年10月2日 神宮)

 涙、涙、涙――。21年間、日米通算2730安打分、泣き尽くした。ヤクルト・青木宣親外野手(42)が2日、神宮球場での広島戦で引退試合に臨んだ。「1番・中堅」で出場し、左翼、右翼と守備位置を替えながらフル出場し、4打数2安打、1得点。6回の最終打席は青木らしい痛烈な右翼線への二塁打だった。多くのファンや関係者らに愛されたバットマンは、試合前から涙を流し、涙にくれて愛したグラウンドに別れを告げた。 

 ずっと我慢していた感情を青木が解き放った。スピーチの最中に客席から飛んだ「泣かないで」の声に思わず本音がこぼれた。「泣くよ!21年も野球やってきたんすよ。泣きますよ!」。家族、仲間、そしてファンに見守られながら、希代のバットマンが現役生活に幕を下ろした。

 「気付けば21年間、夢中になって突っ走ってきました。自分の生き方は間違っていなかったと出会った皆さんが日々教えてくれた」 感謝の思いをバットに込め、左へ右へ快音を連発した。2回2死一塁で迎えた2打席目。床田の外角高めの144キロ直球を呼び込んで鮮やかに左前にはじき返した。「最後の試合でヒットが出てホッとしている」と笑ったが、満足はしない。6回には九里の低めへの142キロを卓越したバットコントロールで右翼線に運んだ。全力疾走で二塁にまで到達。現役最後となった打席での2730安打目は、日米通算463本目の二塁打となった。

 愛する家族との約束を果たした。2日前。長男と長女から「ヒット打ってね!」「ホームラン打って!」とおねだりされ「もちろん打つよ」と応えた。「ナイスヒットって言ってくれるのがうれしくてパパは頑張りました」。試合前の打撃練習からスイングごとに気持ちのギアが上がった。「ヒットとホームランを打ち分けて。気付いたら微調整していたね。職業病みたいな感じ」。特別な試合へ準備を整え、これまで出会った全ての人にマルチ安打で恩を返した。

 大好きな神宮が「青木劇場」と化した。ベンチ入りメンバーだけでなく、監督やコーチ陣、スタッフ全員が背番号23のユニホームで戦った。「大きな試合、国際試合に臨むような気持ち」。見慣れたはずの中堅からの景色は涙でにじみ「何か違った景色に見えた」。試合終盤には左翼、右翼と外野の全ポジションを守り、フル出場で雄姿を届けた。

 家族や支えてくれた恩人、球団関係者や相手チームやそのファンにまで、感謝の言葉を口にするたびに涙が頬を伝った。最後は変わらぬスワローズ愛をファンに示した。「自分が愛したこの球団をよろしくお願いします。また会いましょう」。いつかまた、このユニホームを来て神宮に帰ってくる。そう思わせてくれる言葉で21年間の華麗なキャリアにピリオドを打った。(重光 晋太郎)

 ≪イチロー氏からサプライズビデオメッセージ「見事でした」≫試合後のセレモニーでは、早大時代の恩師・野村徹元監督や同学年でマリナーズでは同僚だった岩隈久志氏から花束を受け取ると、涙を流しながら感謝を伝えた。WBCでともに戦い日米通算4367安打を放ったイチロー氏からサプライズでビデオメッセージが届き「大学からプロの世界に入って2700本を超えるヒット、見事でした。もし同じ時代に同じ条件で勝負していたらどっちがよりヒットを打ったか。そんなことを想像させてくれたバッターでした」とねぎらわれた。パドレス・ダルビッシュやバレンティン氏もVTRで登場した。

 ◇青木 宣親(あおき・のりちか)1982年(昭57)1月5日生まれ、宮崎県出身の42歳。日向から早大を経て03年ドラフト4巡目でヤクルト入り。首位打者に3度輝き、05、10年と2度のシーズン200安打以上はプロ野球唯一の記録。11年オフにポスティングシステムでブルワーズに移籍し計7球団でプレーし、18年1月にヤクルト復帰。WBCに3度出場し、06、09年大会は世界一に貢献。1メートル75、80キロ。右投げ左打ち。

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