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投手からTVディレクターに転身の猛虎戦士 岡田阪神の総決算、舞台裏でともに戦う

スポニチアネックス 2024年10月10日 5時31分

 OBの熱い目が阪神の戦いを支えている。阪神戦の球団公式映像、キャンプ中継などで活躍しているのが、阪神に投手として7年間在籍した福家雅明氏(65)だ。プロでは0勝5敗に終わった福家氏はテレビのディレクターに転身。野球経験を生かして臨場感あふれる映像をファンに届けている。同時期にユニホームを着た岡田彰布監督(66)の総決算とも言える12日からのクライマックスシリーズでも、舞台裏でチームとともに戦う。

 中継を前にした福家ディレクターによる打ち合わせは細部にまでこだわる。番組制作の現場で、阪神の球団公式映像にも関わり、地上波やBS、CS放送にも使われている。ファンに伝える責任の重さを常に感じている。

 「野球を経験した制作の人間として、その一瞬だけでなく、周囲にも目を向けたい。何が起こるか常にシミュレーションして、選手の思いが伝わる映像をファンに届けたいと思っている」

 現役時代は投手。淡路島の出身で名門・天理(奈良)に進学した。近本光司や村上頌樹と同じ島の球児から甲子園を目指した。1年夏から4季連続で甲子園に出場し、3年春の77年選抜でのベスト8が最高成績。準々決勝で中村(高知)の山沖之彦(元阪急)と投げ合った試合は5回0/32失点で敗戦投手になったものの、選抜通算1000試合目として球史に残っている。

 天理から社会人の三菱自動車川崎を経て、81年ドラフト4位で阪神の指名を受けた。1位が源五郎丸洋、2位が現ヘッドコーチの平田勝男だった。「同期だし、今もずっと仲良くさせていただいている。お酒が苦手だったから最初のキャンプは大変だった。先輩からのお酒を逃げるのに必死だった」。1年目の安芸キャンプ、小林繁の正確なコントロールにプロのレベルを痛感した。

 「球は速かったと思う。でもコントロールと心臓の強さかな。足りなかったのは」

 1メートル86の長身から繰り出される直球は「阪神の速球王」と期待されていた。1年目の82年4月7日の中日戦でプロ初登板。いきなり大島康徳、宇野勝の主力から連続三振を奪ったが、中尾孝義に本塁打された。好投しても一発に泣くパターンが続いた。吉田義男監督からは「威圧感を与えるようにヒゲを伸ばせ」というアドバイスも受けた。だが、87年5月27日の中日戦では落合博満に連続本塁打されるなど1試合5被弾。「あの時、落合さんがバットを振ったのは2回だけ。2スイングで2本塁打された」。通算95試合で0勝5敗、被本塁打35を記録した現役時代だった。

 「掛布さん、岡田さんにバースがいたのに、勝てなかったのが残念。真弓さんにはアメリカに行って、変化球を覚えたら変わる、と何度も言われたけど」

 89年に近鉄にトレードされ、同年で現役を引退した。だが、ここで天職に巡り合った。「次の仕事を考えた時に、これからは野球もCS(放送)の時代、と周りから言われた。2軍中継も新しいコンテンツになる」と勧められ、番組制作会社の大阪東通に入社。実務を覚えながら、阪神中継には欠かせない戦力と認められるまでになった。

 忘れられない現場がある。星野阪神の03年リーグ優勝のビールかけ中継だ。コーチだった岡田彰布が駆け寄り「85年は、いてへんかったからな。福家、これが優勝の味や」と思い切りビールをかけられた。85年はブルペン要員として1軍にいたが、優勝直前に球団の指示でフロリダ教育リーグに派遣されていた。「そんな話をしたこともないのに、岡田さんは覚えてくれていた。細かいことを本当によく覚えている」。同じユニホームを着たからこその連帯感も経験した。

 退任が決まった岡田監督の総決算とも言えるクライマックスシリーズは、12日から甲子園で開幕。福家氏もその準備に余念がない。加えて、来年2月の新生阪神キャンプ中継への構想も練っている。98年からスカイAで始まったキャンプ中継はライフワークだ。「一生懸命頑張る選手のことを伝えるのが、毎年楽しみ」。プロで0勝に終わったからこそ、選手に注ぐ視線は温かい。阪神の明日を信じて、カメラに指示を送る。

 =敬称略=(鈴木 光)

 ◇福家 雅明(ふくや・まさあき)1959年(昭34)4月10日生まれ、兵庫県出身の65歳。天理(奈良)では4季連続甲子園出場。三菱自動車川崎を経て、81年ドラフト4位で阪神入団。89年に近鉄にトレードされ、同年限りで引退。通算95試合登板で0勝5敗、防御率5.50。90年に番組制作会社の大阪東通に入社し、阪神の試合中継、キャンプ中継に携わる。現在は「WES」代表取締役社長。現役時のサイズは1メートル86、81キロ。右投げ右打ち。

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