Infoseek 楽天

スパイダース ミリオンヒットも紅白不出場の衝撃理由 堺正章「ブルコメは出た。スパイダースは…」

スポニチアネックス 2024年10月14日 22時56分

 タレント堺正章(78)が、14日放送のBS12トゥエルビ「鶴瓶ちゃんとサワコちゃん~昭和の大先輩とおかしな2人~」(月曜後9・00)にゲスト出演し、グループサウンズ(GS)ブームとNHK紅白歌合戦について語った。

 GSの雄「ザ・スパイダース」に、堺は1962年に加入。ボーカルとしてグループの顔になった。66年発売の「夕陽が泣いている」が、レコード売り上げ120万枚という特大ヒット。一方で、「ジャッキー吉川とブルー・コメッツ」も翌67年、「ブルー・シャトウ」で150万枚を売り上げ、この2組がGSブームを牽引した。

 「最初はブルー・コメッツとスパイダースしかなかった。まだテンプターズもタイガースもなかった。こっち(ブルーコメッツ)は『ブルー・シャトウ』で紅白に出た。いい曲ですよね。うちは『夕陽が泣いている』。これが双璧のように」

 MCの笑福亭鶴瓶から、「紅白に出たんでしょう?」と問われると、堺は「紅白に、ブルコメは出た。スパイダースはダメだった」と回答。「長髪だから」と続けた。

 当時のスパイダースは、複数メンバーが耳に髪がかかるほどの長髪だった。作家でエッセイストの阿川佐和子は「そうだ。ブルー・コメッツはサラリーマンみたいにスーツを着て、七三に分けていた」とビジュアルの違いを思い出したように語った。

 「そんな時代?」と驚く鶴瓶に、堺は「凄いでしょう?長髪でダメだって」と振り返りつつ、「“じゃあ俺は三つ編みにするよ”って言ったの。これ、ギャグですよ?」と笑わせた。

 結局、スパイダースは紅白に出ることはなく、70年に解散。それでも、堺は76年にソロで、また99年には堺、かまやつひろしさん、井上堯之さんによるユニット「Sans Filtre(ソン・フィルトル)」で、それぞれ紅白に出場している。

この記事の関連ニュース