Infoseek 楽天

西田敏行さん急死 76歳「池中玄太80キロ」「釣りバカ日誌」国民的俳優 8日に会見出席も自宅で…

スポニチアネックス 2024年10月18日 4時3分

 映画「釣りバカ日誌」シリーズやドラマ「池中玄太80キロ」などで知られる俳優の西田敏行(にしだ・としゆき)さんが、東京都世田谷区の自宅で死去したことが17日、分かった。76歳。福島県出身。死因は明らかになっていない。今月8日に出演映画「劇場版ドクターX」(12月6日公開)の完成報告会見に出席したばかりで、国民的俳優のあまりにも急な悲報に、芸能界には衝撃と悲しみが広がった。

 硬軟自在の演技派で、軽妙な話術がバラエティー番組でも愛された、日本を代表する俳優が突然天国に召された。

 西田さんはこの日、関係者によると「テレビ朝日『人生の楽園』のナレーション収録を予定していた」という。午後0時20分ごろ、自宅に迎えに行ったマネジャーが倒れている西田さんを発見。西田さんの家族が119番通報した。所属事務所は「心臓の持病はあったが、普通に日常生活を送っていた」としている。この日夜、自宅前で対応し、遺体は「警察にあります」と説明した。

(驚きと戸惑い/「悲しすぎて」/) これに誰より驚き、深い悲しみに暮れたのは、ドラマ「ドクターX」で共演した米倉涼子(49)だ。2ショットの食事写真=写真=をインスタグラムに投稿した1時間後の訃報だった。米倉はその後「おととい、写真をのせるからねと話したばかりなのに。悲しすぎて悲しすぎて、まだ信じられません」と胸中をつづった。西田さんは13年の第2シリーズから蛭間重勝役で出演し、8日の映画の完成報告会見にも出席。冒頭で「もっと演じたいと思いましたが、もうないんだよね」とあいさつし、米倉が発表する前に完結編だとにおわせ、笑いを誘ったばかりだった。今週、食事した俳優仲間も「凄く元気だったのに」と驚く突然の悲報だった。

 養父母に育てられ映画への憧れと標準語が話せなくなる不安から中学を卒業すると上京した西田さん。70年に劇団青年座座員となり、71年には主役に抜てきされるなど頭角を現した。映画やドラマにも端役で出演を続け78年の日本テレビ「西遊記」の猪八戒役や、80年に主演した同局「池中玄太80キロ」、81年の大河ドラマ「おんな太閤記」の豊臣秀吉役で人気を確立した。

 大河は90年「翔ぶが如く」、95年「八代将軍吉宗」、00年「葵 徳川三代」と3度主演し、石坂浩二(83)と並び最多。歌手としても81年に「もしもピアノが弾けたなら」が大ヒット。その年のNHK紅白歌合戦に出場した。

 88年から三國連太郎さんとコンビを組んだ映画「釣りバカ日誌」は22作、22年に及ぶ人気作に。94年からはミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」の主人公テヴィエ役を務めた。

 01年に朝日放送「探偵!ナイトスクープ」2代目局長に就任し、19年までレギュラー出演。涙もろい人柄と優しい語り口で、お茶の間に愛された。

 ≪糖尿病、心筋梗塞、胆のう摘出…20年以上、病と闘い≫

 20年以上にわたり、病と闘い続けた役者人生だった。

 2001年に首の骨が変形し、手足にしびれを感じる頸椎(けいつい)症性脊髄症を罹患(りかん)。糖尿病の持病があり、55歳だった03年3月には心筋梗塞で倒れ、緊急入院した。

 1日100本近くショートホープを吸うほどの愛煙家だったが、死の淵を見たことで禁煙を宣言した。自宅のベッドで転落した16年には、首を痛め「頸椎亜脱臼」と診断された。以降、足と膝の痛みで歩行が困難になり、つえを使って移動することが多くなっていった。

 その後も、腰椎の一部を頸椎に移植する手術を受けるが、術後に胆のう炎を発症。2カ月後に、胆のう摘出手術を受けていた。それでも現場へのこだわりは強く、車いすで撮影に向かう姿がたびたび見られた。

 西田 敏行(にしだ・としゆき)1947年(昭22)11月4日生まれ、福島県出身。66年、明大入学と同時に日本演技アカデミー夜間部に入る。67年TBS「渥美清の泣いてたまるか」で俳優デビューした。08年に紫綬褒章、18年に旭日小綬章を受章。11年の東日本大震災の際には故郷・福島で支援ライブなどを開催した。

この記事の関連ニュース