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解散、復活、そして現在…DuelJewel隼人、発声障害乗り越え「今が全盛期」、GACKT との秘話も激白【ソロインタビュー連載第5回】

スポニチアネックス 2024年10月21日 11時3分

 5人組ヴィジュアル系ロックバンド「DuelJewel」(デュエルジュエル)が9月にニューアルバム「Aria」をリリースし、新作を引っさげて全国ツアーの真っ最中だ。1997年に結成され、ヴィジュアル系の隆盛とともにシーンを駆け抜けてきたが、2016年にボーカル隼人の発声障害が影響し解散。その後、隼人の喉が奇跡的に回復したことで、19年に再結成を果たした。新章の幕開けから5年を経た現在のバンドはどのような進化を遂げたのか。各地のファンを魅了するメンバー全員へのソロインタビューを敢行した。5回目はボーカルの隼人です。

――ツアーの手応えは?

隼人「毎回序盤はちょっと硬く入って少しずつなじんでいくんですけど、今回は初日からツアーの終盤に入るような感覚でスタートできました」

――新しく挑戦していることは?

隼人「発声面でのアプローチについてテーマを決めてやっています。発声面でいろいろとトライしている部分があります」

――隼人さんは過去に発声障害を患ったことがありました。

隼人「2011年のある日突然、歌えなくなってしまった。しゃべる感覚は何も変わっていなかったんですが、思うように歌えない。急いで病院を紹介してもらいドクターに診てもらったんですけど、声帯に大きな傷やポリープのようなものはないと言われ、機能面でのエラーが起きているという診断が下りました」

――治療は?

隼人「投薬や手術といった病院でのアプローチはほぼ通用しないことがわかったので1年間の休養をいただいて、あらゆる治療法に挑戦しました」

――2013年に1度復帰しました。

隼人「今思えば見切り発車だったのかもしれません。すぐにコンディションが落ちてきた。その葛藤が続いて、15年には自分の中で一区切りをつけようと思いました。これだけいろいろ手を尽くしたけれど治らないなら、もうダメだなという気持ちがあったので、メンバーに相談しました。このまま不完全なまま続けていてもファンに申し訳ないので、引退しようと思うという話をしました。メンバーも〓それならバンドも解散しよう〓という話になり、解散するという選択になりました」

――当時の思いは?

隼人「僕一人のためにファンもメンバーもスタッフにも大きな変化を人生に与えてしまった。自責の念が強くて、申し訳ないという気持ちがすごくありました。ただ、やるだけのことはやったということで、気持ち的にはけじめがつきました」

――音楽から離れたのですか?

隼人「高校には進学せず音楽の世界に入りました。音楽以上に打ち込めるものをどうやってこの後の人生で見つけていこうかと、自分と向き合う時間でした。ですが、ひょんなことからまた声が出るようになる日を迎えた。それは17年の3月か4月だったと思いますが、たまたまGACKT さんがイベントに僕を起用したいと話をくださった。最初はお断りしましたが〓1日考えてくれ〓と言われて。次の日に電話して断ろうと思ったんですけど〓やります〓と言っていて、自分でも本当に不思議でした。何も恩返しもせずに辞めてしまったことを後悔していたので、そんな思いがあったのだと思います」

――それが復活のきっかけになったんですね。

隼人「その仕事に行く車の中で、ふとまた声が出るような気がした。実際に声を出してみたら、なぜかある程度できた。奇跡的でした。その後、ドクターと話し合い、やっていた運動が声帯に良いのかもしれないということになりました。トレーニングを繰り返していくうちに、自分でも完治したと思えるぐらい歌えるようになった。その経験を活かして17年にボイストレーニングの枠組みを作りました」

――flumpoolの山村隆太さんも発声障害を患い、トレーニングを受けたと聞きました。

隼人「Reボーカルコーチングという枠組みを作って1年目のクライアントさんでした。治療の実績がまだ数件しかない中、信頼してくださって毎日のようにトレーニングを受けてくれました」

――発声障害と精神的な問題の関係は?

隼人「〓この問題で、この声になりました〓と簡単には言えないんです。精神的な問題が影響している場合もあるでしょうが、自分も含めて多くのクライアントさんは、様々な経験から精神的には弱くない方が多い。声が出なくなったり、歌が歌えなくなったことで精神的に落ち込んでいるのに、周りからは〓精神面が発声障害の原因〓と判断されるのは本当につらいことだと思います。日常生活で声がコントロールできなくなることは相当なストレスです。その状態で過ごすつらさを共有しながらトレーニングを通じて向上して頂きたいと思っています」

――現時点のご自身の声の状態は?

隼人「不安はほとんどないです。再発しないかは自分自身の人体実験のようなものですが、順調と言っていいと思います」

――バンドは19年に復活しました。

隼人「12年からまともに歌えていなかったので、約7年間は完全な状態でしか音楽ができなかった。復活の1年目は浦島太郎感覚で〓こんな感じだったな〓と思いながら活動していました。20年にはコロナが始まり、思うようにツアーができなくなったりもしましたが、それでも作品を作ったりライブをできる限り行ったりしていました。コロナの3年間で地固めができて、昨年と今年はいい動きができている。今は解散前の一番忙しかった頃を超えていると思います」

――アルバムリリースのペースも早いですね。

隼人「丸1年で3枚リリースさせて頂きました。今が全盛期のような動きになっていてありがたいことです。曲もみんな楽しんで書いている部分もあると思います。そういった曲を集めると、ミニアルバムではなく結構な量になりそうで〓ちょっと頑張ったらフルアルバムも出せるね〓となると、じゃあやりますかという感じに自然となっていますね」

――ファンの反応は?

隼人「驚いていると思います。僕たちのペースにどんどん巻き込まれている感じがあるかもしれませんね。以前はアルバム1枚作るのにもっと時間がかかっていましたが、今はそのプロセスがスリム化され、短期間で作れるようになっています。リリースペースが早いことで生まれるファンの反応も、これからもっと変わっていくと思います。現時点ではちょっと戸惑われている方もいるかもしれませんが、喜んでくださっている部分もあります。息を合わせることが必要かもしれませんね」

――以前と比べてご自身に変化はありますか?

隼人「復活したときは、自分の声が持つのかという不安がありました。むしろ不安の方が大きい中で、どれだけ見せられるか模索していました。今は、どれだけリラックスしてできるかが大切だと思っています」

――ツアーは12月まで続きます。意気込みをお願いします。

隼人「僕の中のテーマは、しっかりやることと楽しむことのバランスを取ることです。最後まで楽しめるかどうかが、個人的な課題クリアにもつながると思っています」

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