【月刊中村俊輔 10月号】22年シーズン限りで現役を引退し、現在は横浜FCのコーチを務める元日本代表MFの中村俊輔氏(46)がサッカーの魅力を語り尽くす「月刊中村俊輔」。10月号のテーマは最後の海外移籍。09年7月に一時代を築いたセルティックからエスパニョールに移籍したスペイン約半年の挑戦を振り返った。(取材・構成 垣内 一之)
「元々スペインに挑戦したかったし、何よりステップアップしたかった」
09年7月、4季過ごしたセルティック退団を決意し、国内外で争奪戦に発展した中、俊輔氏が新天地に選んだのは小さい頃から憧れたスペインだった。
「開幕前にリバプールと親善試合をやった時とかは、凄く良かった。でも感覚の合う(元スペイン代表MF)デラペニャが試合に出られなくなって、サッカーもだんだん変わってきた」
順調なスタートを切ったかに見えたが、そこはやはり世界最高峰リーグ。ビルバオとの開幕戦で先発デビューしたが、同一戦のワンプレーがその後のチーム内の役割にも影響を与えたという。
「チームには、FKのキッカーが5~6人いたけど、練習で自分が良いボールを蹴っていたので、ビルバオ戦では“ナカ蹴れよ”となった。でもあの一本を外してからは、“俺らにも蹴らせろ”みたいになって」
セルティック時代に欧州CLのマンチェスターU戦で伝説的なFKを決めた世界的名手でも、スペインでは関係なかった。
「最初の数試合は本当に大事。そこで結果を出さないと、控えている選手がいっぱいいる。自分はそこで強いインパクトを残せる実力がなかった」
結局、真価を発揮できないまま、10年W杯も見据え半年で退団を決意。それでも、もがき苦しんだスペインでの経験は、その後のサッカー人生、指導者に転身した今も大きく生きているという。
「当時22歳だったカジェホンは印象に残った選手。その後、Rマドリード、ナポリでも活躍したけど、オフザボールの動き、縦へのランニングが凄かった。そうやって選手の成長過程を身近で見られた。あとは彼のように何かに特化した選手をどう戦術に組み入れるか。今は攻守に貢献できないと起用されない。両方ができて、何かに特化した選手を育てられたらな、と」
今年S級コーチライセンスを受講する「俊輔監督」の誕生が待ち遠しい。