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LiLiCo 極貧生活語る 衣装買うために銀行残高を見ると…驚きの金額「きれいな服を、と言っても」

スポニチアネックス 2024年11月2日 19時14分

 タレントで映画コメンテーターのLiLiCo(53)が、2日放送のTOKYO FM「川島明 そもそもの話」(土曜後5・00)にゲスト出演し、極貧時代を語った。

 モデル、浜松での演歌歌手活動を経て、才能を見いだしてくれたマネジャーとともに東京へ進出。当初は事務所兼自宅に住んでいたが、金がなく、そのうち家賃を滞納するようになったという。

 「ある日、家賃を払えないので、カギが開かない。大家さんが来て開けてくれた時に、全部差し押さえられるという。“出て行け”と」。追い出された後、5年間はマネジャーとともに車中生活を送っていたというのは有名な話だ。「忘れ物をしないのよ。全部トランクに入っているから」。明るく振り返るLiLiCoに、パーソナリティーの「麒麟」川島明は「家ごと移動してる。カタツムリみたいな存在だから」と絶妙な表現で笑わせた。

 当時は携帯電話も今ほど普及しておらず、ショルダーフォンも20万円を超えるような高額だったという。当然、仕事の依頼の電話が来ることはなく、スナックを飛び込みで回った。「チップを1000円とかもらえたら、その日はおにぎりが食べられる、マネジャーと」と、その日暮らしの生活をしていたことを明かした。

 それだけに、営業中にレッカー移動されようものなら死活問題だったという。「(レッカー代の)1万5000円がきつすぎて、当然ないから、色紙を書いて警察に…。カセットテープをあげて、“申し訳ないけど事情分かってください”って」と、見逃してもらおうとしたこともあったという。

 苦労が実って92年、ついにCDデビューを果たした。映画「幻惑のParis」の主題歌で、日本クラウンから「過ぎてしまえば」をリリース。レコーディング当日の思い出を明かした。「レコーディングの日に、銀行の通帳に160円しか入ってなくて。衣装もレコードジャケットを撮るから、きれいな服をと言っても、応援してくれていたおばさまたちからもらった服しか着てなかった」。後援会に懇願し、何とか衣装代を工面してもらい、撮影に臨んだという。

 レコーディングは豪華だったという。「すっごいオーケストラでやっていて、レコーディングの時は本当に驚いた。こんなにもかけてくれているんだなって」。CDはヒットすることはなかったというが、後にまさかの偶然が。「22年たって、(夫の小田井涼平が所属していた)『純烈』がクラウンの後輩になったんだけど、すごいスタッフが一緒に来るの、一緒に。いいなって。(自分には)誰も付いて来てくれなかった」と嘆いていた。

 苦労した年月も、前向きにとらえているという。「デビューした人で、こういう経験はできないから、川島さんとお話をできるとか…。どん底を1回知ると、ちょっとした幸せでも、凄く幸せなの。今でも家に帰ってカギが開くだけで、やったと思った」。また貧乏時代の教訓から、習慣づけていることがあるという。「家賃は振り込んでいるの。絶対に忘れないため。ガス代とか全部、自分で。引き落としにしていた時に、ガス代を引き落とされて、何も食べるものがなかった。だったら、ガスはいらないと。その気持ちは変わらない」。そうすることで、初心を忘れないよう心掛けていることを明かした。

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