音楽プロデューサー、作曲家として活躍したクインシー・ジョーンズさんが3日、米ロサンゼルスの自宅で死去したことが分かった。91歳。
シカゴ出身で、1951年にバークリー音楽大を卒業後、トランペット奏者として楽団に参加。
アレンジャーとしてジャズ音楽に関わるようになり、1960年代以降はプロデューサーとしてポップス界にも進出。ヒットを連発した。
1981年に発表した自身のアルバム「愛のコリーダ」が大ヒット。さらに、翌82年に手がけたマイケル・ジャクソンのアルバム「スリラー」は「史上最も売れたアルバム」としてギネス認定された。
米音楽界最高峰とされるグラミー賞では3度の最優秀プロデューサー賞を受賞するなど多くの賞を受賞した。また、1985年に発表されて世界的大ヒットとなったチャリティーソング「ウィー・アー・ザ・ワールド」のプロデューサーを務めた。
宮崎駿監督作品をはじめ数多くの映画音楽で知られる作曲家・久石譲氏の名前の由来となったことでも知られる。