訃報が伝わった中日球団元オーナー、白井文吾は阪神球団にとって「阪神」を守ってくれた恩人、救いの神だった。忘れてはいけない話として書いておきたい。
2006年、阪神球団の親会社、阪神電鉄は前年から村上ファンドによる株式大量取得、いわば乗っ取り攻勢を受けていた。途中経過は省くとして、阪神電鉄は阪急ホールディングス(HD)をホワイトナイトとして経営統合に踏み切った。同年10月に発足する阪急阪神HDの傘下に入ることになったわけだ。
問題はプロ野球だった。阪神球団の親会社の上にさらに親会社の阪急阪神HDができる。これをどうとらえるか。
06年7月5日に開かれたオーナー会議では「親会社の変更、新規参入にあたる」として、野球協約で定められた預かり保証金25億円、野球振興協力金4億円、加入手数料1億円の計30億円の支払いを阪神に求めた。
当時、04年の球界再編騒動を受け、ダイエー(現ソフトバンク)や楽天など新規参入の球団が30億円を支払っていた。広島、西武を除く9球団が支払いを命じていた。
阪神は戸惑い、焦った。今のプロ野球が発足した1936(昭和11)年以来、発展に寄与してきたはずが「新規参入」とはあまりに切ない。伝統ある老舗球団としての誇りもあったろう。
阪神オーナー・宮崎恒彰は11球団を行脚して「球団の経営権は依然として阪神電鉄にある」と説明して回った。賛意を得た感触は薄かった。
30億円問題に決着がつくオーナー会議は11月14日に開かれた。宮崎は背広の内ポケットに辞表を忍ばせて臨んだ。
会議の冒頭、議長だった白井が「前回は差し控えた私の意見を申し上げます」と切り出した。
「新規参入にはあたらない!何かご異議ございますか?」
わずかの間があり――数秒だったそうだ――、「ないようですので、そのように進めます」。
白井は阪神の立場も主張もよく理解していた。当時78歳。球界でも発言力のある重鎮だった。オーナー連中を黙らせるだけの存在感があった。結論として阪神は資産査定などの手数料1億円を除く29億円は減免された。
宮崎は後に「白井さんにはどれだけ感謝してもしきれません」と話していた。タイガースの経営は阪神、という伝統が守られたのだった。 =敬称略= (編集委員)