中日の元オーナーで中日新聞社名誉会長の白井文吾(しらい・ぶんご)さんが、10月29日に老衰のため死去した。96歳。愛知県出身。葬儀は近親者で執り行われた。喪主は長男伸明(のぶあき)さん。12月10日に名古屋市内で、お別れの会を開く。黄金時代に尽力した名物オーナーが、静かに去った。
“強竜”の最盛期を支えた白井さんの訃報は、中日新聞社から発表された。96歳の大往生だった。1949年に前身の中部日本新聞社に入社し、代表取締役社長などを歴任。00年3月から球団史上最長となる20年にわたり、オーナーを務めた。
中でも03年オフに、球団OBの落合博満氏を監督として招へいしたことは有名。言動には慎重なオーナーだったが、勝負をかけた。生え抜きのOBを望む声が強い、地元愛の強い環境で決断し、落合監督は04~11年の任期8年間でリーグ優勝4度。07年には球団53年ぶり2度目の日本一も達成した。独自路線から批判が少なくなかった落合氏を支え、13年オフには球団初のGMとして落合氏を再び招へいするなどチーム強化に務めた。
落合氏は本紙の取材に応じ、「大変お世話になった恩人です。全面的にバックアップしてくださり、白井オーナーがおられなかったら私の監督はなかった。長きにわたり、お疲れさまでした。ご冥福をお祈りします」と故人をしのんだ。
20年から名誉オーナーに就任。後任の大島宇一郎オーナーに託した際には、「平成から令和へ時代が移り、新しい時代には新しいオーナーで臨むのがふさわしい。(07年に)地元名古屋で決めた日本一に心から感謝するとともに球場に広がった歓喜のテープを見て胸がいっぱいになりました」とコメントした。
“オレ流”とともに多大な功績を残した名物オーナーが、天国へ旅立った。
白井 文吾(しらい・ぶんご)1928年(昭3)1月27日生まれ、愛知県田原町(現田原市)出身。49年に中部日本新聞社(現中日新聞社)入社。編集局長などを経て97年に社長就任。03年会長、20年から名誉会長。00年から中日ドラゴンズオーナーを務め、20年に名誉オーナーに退いた。21年に旭日重光章を受章した。
≪悲しみの声≫
▼中日・井上一樹監督 長きにわたり、いろんな方面でご尽力していただき素晴らしい功績を残されました。強いドラゴンズをつくっていただいた中で選手をさせてもらったことも感謝しております。
▼中日・吉川克也球団社長 突然の訃報に驚いています。長い間オーナーをお務めいただき、ご功績は計り知れません。ここのところの成績低迷を大変申し訳なく思います。
▼侍ジャパン・井端監督 ドラゴンズに入団してからジャイアンツに移籍する時も、私のことを気にかけてくださった白井さんには非常にお世話になりました。長年、プロ野球界発展のために多方面にわたりご尽力いただき、感謝の気持ちでいっぱいです。