【君島圭介のスポーツと人間】 和田毅が先発した試合で、若いソフトバンク担当記者は「もう和田さん降板ですよ」と言った。予定のイニングを投げきったという。確かに40歳を迎えて長いイニングを投げる試合は減っていた。
それでも私は記者席で続投を疑わなかった。モニターに映った和田の顔が「オン」のままだったからだ。予想通り、次の回もマウンドに上がる姿を見て、「表情で分かるとか。新人のときから投げる姿を見てきたからなあ」と感慨深かった。
なんだこのイケメンの優男は!それがダイエー入団時の第一印象。その和田が現役を引退する。送別コラムなら本当の性格やエピソードなど、あまり知られていない「裏の顔」を書くべきだろうが、実は記憶をたどっても思い浮かばない。
担当記者だった頃はよく2人で出かけたし、同じ島根出身の大先輩である大野豊氏と3人で食事したこともあった。担当を離れてもキャンプに顔を出せば長い立ち話に付き合ってくれた。
それなのに「裏の顔」が浮かばない。記憶をたぐれば和田が話すのは野球のことばかりだった。人のウワサや悪口は一切出てこない。不平不満も口に出さない。いつも野球の話ばかりしていた。
自分を律する姿勢は松坂世代で最後まで第一線で投げ抜いた実績を見れば明らか。酒好きで、珍しい焼酎を集めていたが、20代の前半から「シーズン中はアルコールを飲まない」と自ら決めていた。
その鉄の意志を揺るがしたことがある。和田も出場したアテネ五輪の翌年。野球日本代表の料理人だった野崎洋光氏が総料理長(2024年勇退)を務めていた東京・広尾の「分とく山」に行ったとき。アテネの思い出と野崎氏がつくる最高の料理に囲まれ、和田は「ビール一杯だけ飲んじゃおう」と言い出した。
あのビール一杯が22年間の付き合いで見た、たった1度の「裏の顔」かもしれない。そんな些細なこと以外、和田が妥協する姿を見たことがない。
今年10月1日に中継ぎ登板した試合でケガをしたのが悔やまれる。あの試合、マウンドに上がった和田はまだまだ戦う顔をしていた。43歳になっても闘志に満ちあふれたイケメンの優男だった。来年もまた勇姿を見れるな、と安心していた…。
わっち。むちゃくちゃ寂しいけど、本当にお疲れ様でした。