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【蹴トピ】横浜FC・武田英二郎 現役引退を表明 人生を変えたチョウ・キジェ監督との出会い

スポニチアネックス 2024年11月6日 6時3分

 J2横浜FCのDF武田英二郎(36)が10月29日に今季限りでの現役引退を表明した。決断を後押しした家族の言葉とは?プロキャリアで大きな影響を与えられた指導者とは?スポニチのインタビューに応じ、14年間の現役生活を振り返った。(取材・構成 垣内 一之)

 「もういいんじゃない?大丈夫だよ、だってもう(十分)やったじゃない」

 武田が湘南時代から苦楽をともにしてきた妻に相談すると、意外な言葉が返ってきた。

 「来季も現役を続けるかどうか、1カ月ほど悩みました。まだサッカーをしたかったし、やれる感覚があったからです。最初は、奥さんに相談するのも避けていました。悲しむ姿を見たくなくて…。でも、自分の中である程度、けじめをつけて、意を決して妻に相談したら、両親も同じでしたが、思っていた逆の反応で」

 横浜F・マリノスジュニアユースで本格的にサッカーを始め、プロ生活は14年間にも及んだ。

 「運も絶対にあるんですが、プロだけでなく(横浜F・マリノスユースに入団した)、中1から考えると、練習で手を抜いたことはないです。最近、“それがもしかしたら自分の最大の特長なのかな”と気づいたんです。自分はそれが当たり前だと思っていたんですよ。サボったら怒られるじゃないですけど、バレると思っていたので。厳格な家庭で育って、勉強も含めてやるべきことは、当たり前にやらされてきた。今では両親に感謝していますが、そういう家庭で育ったからこそ、サボるとか、そういうことが自分の中から必然的に消されたという感じはあります」

 長く現役を続けられた秘訣(ひけつ)に「勤勉さ」を挙げた武田だが、ある指導者との出会いが自身のサッカー人生を大きく変えたという。

 「影響を受けた指導者は、湘南時代のチョウ・キジェ監督ですね。プロだからみんな技術があるのは当たり前。その中でベースとなる姿勢だったり、意欲だったり、自分から何かやろうとするところを凄く言われた。言われていたことをただやっているだけでは許してくれないんで。チョウさんはやる気があるかないか、見極めるのが凄くうまかった。プレーに躍動感がないと、やっぱりバレる。3年間は試合にあまり出られなかったですが、そういった指導が自分には合っていたし、凄く響いた」

 自主性が植え付けられた湘南時代。その意識改革が、17年夏に発症した運動誘発性不整脈によるカテーテル手術を経て18年に加入した横浜FCで大いに生かされたようだ。

 「戦うとか、サボらないとか、行くところは行くとか、自分で意思を持って動く。そういうサッカーの基礎となる部分、特に守備では、横浜FCに来て、それは自分にしかない武器だと思ったし、“このチームで絶対に生きる!”と感じた。それでやってきた結果、ここまでやれたので、それは間違ってなかったと思う。若手時代はクロスと攻撃の方に力を使っていたんですが、今は守備の方に頭がいっているぐらい。そこはプロ14年間で気づいたら変わっていたところです」

 横浜FCでは7年間プレー。自身ばかりかクラブの成長も大いに実感できたという。

 「一番の思い出はやっぱり2019年シーズンのJ1昇格。本当にサッカー人生を懸けてやっていたし、治療や食事なども含め本当に努力した。やりきったという達成感はありましたね。チームもそこから成長していった感覚はあります。サポーターも増えたし、来てくれる選手も明らかに質が高くなった。そういう意味では、いいタイミングで入って、自分も生き延びられて、クラブの成長も間近で見られたと思う」

 「横浜FCで30歳を超えてからJ1昇格を2回経験(19、22年)できた。今季もホーム最終戦では残念ながら決められなかったけど、最終節(アウェー山口戦)で自力で3度目の昇格を決められる」と武田。セカンドキャリアは堪能な語学を生かし「人に喜んでもらえる仕事をしたい」と語った。不屈の闘志でプレーを続けた左利きのサイドバックは、14年のプロ生活を糧に“第二の人生”へと突き進む。

 ◇武田 英二郎(たけだ・えいじろう)1988年(昭63)7月11日生まれ、川崎市出身の36歳。横浜の下部組織出身で、青学大4年時に湘南の特別指定選手として登録され10年5月のナビスコ杯(現ルヴァン杯)でデビュー。11年に横浜に加入し、12年にJ2千葉、13年にJ2鳥取(現J3)、14年に福岡(現J1)に期限付き移籍。15年に湘南、18年に横浜FCへ完全移籍。日本代表はU―15~16で選出。J1は38試合、J2は183試合出場。1メートル73、71キロ。利き足は左。

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