「漂流教室」や「まことちゃん」などの作品で知られ、ホラー漫画の第一人者だった漫画家の楳図かずお(うめず・かずお、本名一雄=かずお)さんが10月28日、東京都のホスピスで死去した。88歳。和歌山県出身。葬儀は近親者で行った。胃がんを患い、療養中だった。先月には新作を制作中と発表したばかり。漫画界の巨星がまた一人、天に召された。
楳図さんは夏に東京・吉祥寺の自宅で倒れ、搬送先の病院で胃がんと判明。都内のホスピスで療養していた。先月2日には、新たな連作絵画を制作中であると発表。病床でも創作への意欲を見せていたが、10月28日に息を引き取った。葬儀では、赤白シャツに赤い帽子姿で棺に納められ、遺影は「グワシ!」のポーズだったという。
奈良県で育った少年時代。小学4年で漫画を描き始め、夏祭りで手に入れた手塚治虫の「新宝島」に衝撃を受け、漫画家を志した。高校卒業後、プロになると決めた際「手塚治虫にないものを」と、行き着いたのがギャグとホラーだった。
1955年、高校時代に水谷武子さんとの合作「森の兄妹」でデビュー。61年に貸本で「口が耳までさける時」を発表。自ら「恐怖漫画」と呼んで新ジャンルを開拓した。その後、少年時代に聞いた土着の民話や伝承をベースに「へび少女」「おろち」で人気作家に。美を巡る執着や母娘の愛憎を描く「洗礼」などで人間の心に潜む恐怖を掘り下げ、ホラー漫画の第一人者となった。少年少女が荒廃した未来でサバイバル劇を繰り広げる「漂流教室」でSFに作風を広げ、評価を不動のものに。パンデミックも描いた同作は、その先見性がコロナ禍で再評価された。
ギャグ漫画でも才能を発揮。無邪気な幼稚園児が暴れ回る「まことちゃん」は大ヒットし、中指と小指だけを折り曲げるポーズ「グワシ!」は社会現象になった。ホラー漫画を軸にギャグ、SFと広がった作家性。奇想天外な着眼点などが共通し「家の中で起きるとホラー。外だとSF」と“地続き”であると話していた。
「14歳」の連載を終えた95年、腱しょう炎を理由に断筆。後に編集者との確執を語っている。だが、18年に仏アングレーム国際漫画賞の「遺産賞」を受賞し創作意欲が再燃。代表作の一つ「わたしは真悟」の続編にあたる作品を101枚の絵画で物語を見せる“連作絵画”で発表した。
一方、私生活では生涯独身。エキセントリックなキャラクターでも知られた。並々ならぬこだわりを見せたのが赤と白のボーダー模様。赤白シャツがトレードマークで「まことちゃんハウス」と呼ばれた自宅の外壁も同様の色。建築中の07年に近隣住民が「景観を破壊する」として工事の差し止めを求める訴訟を起こしたが楳図さんは一歩も引かず訴訟中に家も外壁も完成させた。09年に訴えは棄却された。
明るいキャラクターはテレビで親しまれ、マルチタレントとしても活躍。若い世代にも大きな影響を与えた。作品だけでなく、自らも漫画世界の住人のような人生を終え、旅立った。