ソフトバンクの和田毅投手(43)が5日、今季限りで現役を引退すると発表し、福岡市のみずほペイペイドームで引退会見を行った。「松坂世代」と呼ばれた1980年度生まれ、前身のダイエー時代を知る最後の現役選手だった。並み外れた練習量を誇り、40歳を超えても活躍を続け、22年のプロ生活で日米通算165勝をマーク。ファンにも愛されたサウスポーは、晴れやかな表情で現役生活に別れを告げた。
和田は白と黄色の花で彩られた席にスーツ姿で登壇した。最後まですがすがしい笑顔での会見だった。
「22年、振り返っても悔いのない、やり残したことない野球人生だと思っています。すべてが思い出ですね」
前日4日の朝に王貞治球団会長に電話で報告し、同日夜のリーグ優勝祝勝会で1軍の主力選手に伝えた。この日の朝に自主トレをともにする各球団の選手たちにもメールで連絡した。今年7月に意志を固め、これまで元タレントで妻のかすみ夫人だけにしか伝えていなかった。
「5年前から肩の痛みと戦いながら投げていて、選手として役割は終わりを迎えているのかなと。今年は特にそれを強く感じた」
今季は左手中指の負傷などで開幕から出遅れ、2軍で調整する期間が長く、8試合登板で2勝止まりだった。
「1月から走り込めなかったし、膝、腰の痛みだったりで最後は内転筋の肉離れ。中継ぎでも肩の痛みを注射を打ちながら投げた。体がボロボロになっているなと」。ポストシーズン直前には左脚を痛めて復帰はできなかった。
これでダイエー戦士の全員が引退となり、1980年度生まれの「松坂世代」のNPB現役選手がいなくなった。松坂大輔氏が引退した後、毎年自身の日米通算170勝を超えてほしいと思いを伝えられていた。日本で160勝、大リーグで5勝、計165勝で及ばず「さすがにしんどかったわ」と4日夜に電話した時に伝えた。それでも世代最後の砦として22年間もマウンドを守ったのは輝かしい勲章だ。
土台は走り込みと体幹強化だった。「もう一人の自分をへそに入れる。要はおなかに柔らかく、しなやかで強いかたまりを作った上で手足は付きもの。腹筋は3万回やらないと体は覚えない」と追い込んだ。22年5月29日の広島戦。41歳で自己最速を更新する149キロを刻んだ。
仲間に尊敬され、ファンに愛された左腕がついにユニホームを脱ぐ。今後について「野球しか知らないので野球以外も勉強したい。まだぼんやりですが引き出しを増やせられるようにやっていけたら。休ませてくださいよ」と話した。
グラウンドを離れると良き父親だった。一人娘に言い続けてきたことがある。「最初から諦めることはしないこと。何事もチャレンジし、成功、失敗はどうでもよくて挑戦までの過程、道のりを大事にしなさい。そこが誇れたらいいよ」。3日夜に娘に引退を伝えた時には「“え?、今回は本当?”と言ってうるっときてました」という。22年間、勝負し続けた。走り続けた。そして潔くマウンドを降りた。 (井上 満夫)