シニアディレクター(SD)、シニアエグゼクティブアドバイザー(SEA)、シニアアドバイザー(SA)、レジェンドテラー、テクニカルアドバイザー(TA)……阪神が星野仙一、掛布雅之、和田豊の有力OBに用意したポストにはカタカナが並んでいた。
しゃれてはいるが何をしているのか、活動の中味が分かりづらい。
一般企業にも言えることだ。顧問や相談役などの存在が形式的となり、コーポレート・ガバナンスの観点からその役割の透明性と責任の明確化が問われている。
阪神監督を今季限りで退いた岡田彰布のオーナー付顧問就任が正式発表となった。球団はリーグ優勝2度、日本一にも導いた岡田の経験や知見を幅広く生かしたいとしている。だからこその顧問で、問題は肩書より、中味だろう。
「ミスタータイガース」藤村富美男も阪神球団顧問の肩書があった。毎月、球団から顧問料が振り込まれていた。
藤村は20年間も優勝から遠ざかった1984(昭和59)年、雑誌『ナンバー』で、かつて自身が受けた「排斥運動」など、お家騒動について重い口を開いている。それでも「タイガースはワシの心のふるさと」で「心情は複雑」だった。当時68歳である。
「正直な話を言うと、私はタイガースの顧問として、いくばくかのお金をいただいておりますのや。そのことについては、ものすごく感謝しとります……そういう私がタイガースの悪口みたいな話をするのは、筋が違うと思われる方もおると思うけど、これもタイガースを愛していればこその話だと思っていただきたい」。藤村退団当時の報道を読み返せば、顧問料は口止め料の意味合いが濃かったようだ。
藤村は顧問として何かを行った形跡はない。現場からも足が遠のいていた。甲子園球場には商品を納入する検品所の門から入場し、人知れず練習や試合を眺めていた。
藤村以来の顧問となる岡田も猛虎愛は相当だ。藤村のような寂しい晩年を送らせてはならない。
久々に報道陣の前に姿を見せた岡田は大いに語った。体調も回復し、現場へもどんどん出て行く考えだ。球団社長・粟井一夫も厳しい意見を歓迎する姿勢を示した。フロントも監督・藤川球児ら現場も助言を求めればいい。岡田はいくらでも応じ、顧問として機能するだろう。 =敬称略=(編集委員)