【東京六大学野球 次の100年へ】「学生野球の父」の飛田穂洲、「ミスタープロ野球」の長嶋茂雄、昨年には阪神を日本一に導いた岡田彰布も、1925年(大14)に始まった東京六大学野球を彩った。今年で創設から100年目を迎えた日本最古の大学野球リーグを支える人々を紹介するインタビュー連載「東京六大学野球 次の100年へ」の第7回は慶大野球部の宮田健太郎主務(4年)。幼稚舎から慶応一筋の男は中学でラクロス部、高校で馬術部に所属した異色の経歴を持つ。(聞き手 アマチュア野球担当キャップ・柳内 遼平)
――いよいよ明日から秋季リーグを締めくくる早慶戦です。主将とともにチームをけん引する主務はどんな気持ちでしょうか。
「優勝の可能性がなくなってしまったことは悔しいですが早慶戦は早慶戦。本当に勝って終わりたい。僕が1年生の時は福井章吾さん(現トヨタ自動車)の代、その次は下山悠介さん(東芝)の代、去年の秋に日本一になったときも凄い人たちがたくさんいた。そして下には外丸東真や渡辺和大だったり、僕たちは凄い世代に挟まれた代。ずっとAチームにいた選手も少ない。それでもこの世代で最後に早慶戦を制すことができたら良い思い出になると思います」
――主務は野球部をまとめる大変な仕事。野球を始めるきっかけは。
「父も慶応出身で、小1のときに早慶戦を見に行ったことが野球を始めるきっかけになりました。プロ野球とは違った応援の雰囲気で、エール交換のときは“凄いなぁ”って。お父さんと肩を組んで若き血を歌うのが楽しかったですね」
――慶応幼稚舎(小学校)時代に野球を始めるも、慶応普通部(中学校)ではラクロス部に。急な転身ですね。
「なぜラクロス部を選んだのかはあまり覚えていないんです。実は普通部は本当に勉強がキツくて野球をやりながらは厳しいな…と。理科が凄く難しい。毎週レポートを3、4枚手書きで書くんです。目的、理由、結果、考察と。レポートを書く力はそこで鍛えられましたね。僕は幼稚舎で広瀬隆太(ソフトバンク)と同じクラスだったんですけど普通部でも野球を続けられた広瀬のタフさには驚きました。学校外の世田谷西リトルシニアで野球をやりながら勉強を続けられたのは、アイツの知られていない凄さかもしれません」
――勉強、勉強、勉強の中学時代を経て高校では一転、野球でもラクロスでもない馬術部入部。またまたなぜ…。
「高校から始めた人でも戦えるスポーツを探していた。興味本位で体験乗馬に行ったら馬に乗るだけじゃなくて、餌やりや清掃をする厩舎(きゅうしゃ)作業も楽しくて。まず動物に触れる部活はあまりないので新鮮だった。何年かやって分かったんですけど馬って人と通じ合えるんですよ。人間が不安に思うと馬が急に止まったり動かなくなったりする。乗っていて“馬って人の気持ちを読む動物なんだ”って。なかなかできない経験ですし凄く楽しかった。入部当初は馬に乗るだけで精一杯だったんですけど、2年生の時にはインターハイでベスト4に入ることもできました」
――馬の魅力に気づき、結果も出せた。それでも慶大では野球部にマネジャーとして入部。一体なぜ。
「馬術をやりながらも野球好きは続いて、早慶戦は毎シーズン観戦に行っていました。いざ慶大に進学するときに“野球部に入る機会ってもう人生で1回しかないんだ”って思う瞬間があった。自分は早慶戦がきっかけで野球を始めたし、恩も感じていました。格好つけて言うと恩返し。慶大野球部に憧れて野球を始めたので、そう思ってくれる子を増やしたい思いもありました」
――異例のルートで慶大野球部へ。入部当初の反応はどうだった。
「まず“馬(術部)が入ってきた!”って言われました(笑い)。僕が入ったときの主務だった湯川適さんも野球経験のない方で“俺も経験ないけど関係ない。気にせずやりな”と勇気づけられました。1年生最初の1カ月には“グラウンド期間”があり、1日中ずっとグラウンドにいて選手の動き、チームの流れ、学生野球のイロハを学びました。最初は4年生の福井章吾さん(トヨタ自動車)ら選手、マネジャーの意識の高さ、隙のなさに驚いた。いまでも覚えているのは、福井章吾、正木智也(ソフトバンク)、渡部遼人(オリックス)さんの3人を治療のために車に乗せて運転役を務めたこと。凄く緊張した。これ事故ったら終わるな、別の治療になるな…と。ハンドルが手汗でビショビショになりました(笑い)。1年生だった21年はリーグ戦の春、秋連覇。そのときに“お前のおかげで優勝できた”と選手から言われて凄くうれしかったです」
――やっぱりマネジャーにとっても勝利が何よりうれしい。
「自分がサポートしているチームの勝利、特に優勝はうれしい。昨年のチームはオープン戦から全然勝てない状況から(秋の)日本一へ駆け上がり、“これのためにやっているんだ”と感じた。その1年前に広瀬(ソフトバンク)の代が始まったんですけど、オープン戦でボロ負けした後に堀井哲也監督が“このチームは日本一になる”って言ったんです。正直僕には何が見えたのか分からなかった。それでも1年後に優勝して“ほら優勝しただろ”と。この監督は凄い…って思いましたね。未来が見えているんだろうなって」
――馬術を学んでいてよかったことは。
「忍耐力と体力。馬に朝ご飯をやって、夜ご飯をあげるところまで馬術は1日が長いスポーツ。そういう意味では大学野球部と似ているなと。マネジャーも朝から晩まで体力仕事。馬術部に入っていたからこそ、いまこうやってできているのかなと思います。馬は乗るときだけじゃなくて、厩舎(きゅうしゃ)作業のときから信頼関係を築いていく積み重ねのスポーツなんです。マネジャーも馬術も積み重ねの準備が大事。そこは共通していますね」
――とても珍しいお話を伺うことができました。明日の早慶戦頑張ってください。
「ありがとうございます。正直、高校までは本当に一貫性がなく、何をやっているんだと自分でも思っていたんですけど、最後は自分の決断で野球に戻ってきた。野球部に入ったことは絶対に後悔しない。選んでよかったと自信を持って言えます」
◇宮田 健太郎(みやた・けんたろう)2002年1月22日生まれ、東京都港区出身の22歳。幼稚舎(小学校)から大学まで慶応一筋。野球を始めた小学校では広瀬(ソフトバンク)と同じクラスで、中学ではラクロス部、高校では馬術部に所属。大学では野球部にマネジャーとして入部し、3年秋から主務就任。尊敬する人物は慶應義塾の創設者・福沢諭吉。好きな選手は巨人・小林。あだ名は「ケンちゃん」。