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【内田雅也の追球】「化ける」ための一滴

スポニチアネックス 2024年11月16日 8時1分

 努力は報われる、結果は突然現れる、という話の続きを書いてみる。

 「打撃の神様」川上哲治の名言に「ボールが止まって見える」がある。この感覚――川上によれば「技術の神髄」――が生まれたのは1950(昭和25)年9月、多摩川練習場でのことだった。

 バッティングの特訓(これも川上の造語だ)をしているとき<ピッチャーの投げる球が、自分の打つポイントで止まったように見えた。その球を一瞬の間をおいて打つと、打球は糸を引いて飛んだ。次の球も、その次の球も……>と著書『禅と日本野球』(サンガ文庫)にある。<私は物の怪(け)につかれたように、約一時間も打ち続けて、ついにバッティングのコツをつかんだ>。

 熊本工から18歳で入団し、30歳の秋のことだ。すでに首位打者も本塁打王も獲得していた。試行錯誤を繰り返し<無心にはじまり、いろいろ意識しやって、また無心に返るといった過程を踏んだ>と振り返っている。

 川上ほどの大打者でなくとも選手には「化ける」ことがある。

 作詞家・阿久悠が本紙に連載した小説『球心蔵(きゅうしんぐら)』では阪神2軍監督の西本幸雄(と読める人物)が若い選手たちに「化けて下さい」と諭す。「進歩する、成長するなどというスピードではプロの世界では取り残されます。進歩は現状維持です。現状維持は退歩です。化けるしかありません」

 実際の西本が監督時代に育てた長池徳士も福本豊も栗橋茂も……化けた選手だった。阪神なら掛布雅之や新庄剛志だってそうである。地道な練習の積み重ねである時、閾値(いきち)を超え、変身するのである。

 茶道について書かれた森下典子の『日日是好日』(新潮文庫)に<世の中には「すぐわかるもの」と「すぐにはわからないもの」の二種類がある>とある。そして「すぐにはわからないもの」がわかる時について、次のように表現している。

 <一滴一滴、コップに水がたまっていたのだ。コップがいっぱいになるまでは、なんの変化も起こらない。やがていっぱいになって、表面張力で盛り上がった水面に、ある日ある時、均衡を破る一滴が落ちる。そのとたん、一気に水がコップの縁を流れ落ちたのだ>。

 この日、高知・安芸には雨が降った。雨水が土にしみこむように、今は一滴一滴、水をためる時である。 =敬称略= (編集委員)

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