歌手の中尾ミエ(78)が16日までに更新されたYouTube「ホイチョイ的映画生活~この一本~」にゲスト出演。自身の芸能生活で財産になった若手時代のエピソードを語った。
16歳でデビューし、いきなり「可愛いベイビー」が大ヒット。歌手としてロケットスタートを切った中尾にとって、女優としての原点が「森繁劇団」だった。昭和の名優、森繁久彌さん(2009年死去)が三木のり平さん(1999年死去)らと立ち上げたもので、中尾の初舞台も同劇団だった。
「舞台もそうだけど、舞台以外の楽屋での挨拶とか、時代劇がほとんどだったので、着物の着付けとか、化粧とか、全部自分でやらなければいけなかったので…」
ヘアメイクやスタイリストが職業として確立し、至れり尽くせりの「今」との違いを強調しつつ、「昔は“化粧も芸のうち”って言われていて」と振り返る。
中尾によると、化粧のやり方で役柄のキャラクターを表現したり、着物の襟の合わせ方で職業や身分を変えることも可能という。役の味を出すためにも、自分の手で一から作り上げることが必要だと力説する。
「(衣装を)返す時も自分でたたんで返すんですよ。で、その時に、下手な花嫁修業をするより、よっぽど勉強になるな、って。ああ、芸能界に入ってつくづく良かったな、って思いましたね」
60年超も芸能界のトップに君臨してきた理由の一端が、その言葉に凝縮されていた。