俳優の火野正平(本名・二瓶康一=にへい・こういち)さんが、14日に死去したことが分かった。75歳。東京都出身。葬儀は家族で行った。俳優として時代劇・映画で活躍したほか、歌手としても長く活動し、昨年は新曲をリリース。プライベートでは“元祖プレイボーイ”として数多くの浮名で70年代のワイドショーを騒がせ、「モテ男の代名詞」として知られた。
事務所によると、4月から持病である腰痛の治療に励んでいたが夏の腰部骨折を機に体調を崩した。「最期まで仕事復帰を願っておりましたが叶いませんでした 自宅で家族に見守られ 穏やかな最期でした」と伝えた。
火野さんは1949年5月30日生まれ、東京都出身。12歳の頃から劇団に所属し、62年にフジテレビ系「少年探偵団」でデビュー。その後は「太陽にほえろ!」などの名作の端役を経て、73年のNHK大河ドラマ「国盗り物語」に出演した際、「『太閤記』の第2の緒形拳をつくる」という制作側の意図で、池波正太郎が名付け親となって「火野正平」に改名した。
この羽柴秀吉役が当たり役となりブレーク。74年に舛田利雄監督映画「俺の血は他人の血」で映画初主演を果たした。その後多くの時代劇、映画で活躍し、2021年には映画「罪の声」で第30回日本映画批評家大賞授賞式でゴールデン・グローリー賞(水野晴郎賞)を受賞した。
77年からは歌手としても活動し、昨年3月には約14年ぶりとなる新曲「あかんたれ」を発売。また全国ツアー「火野正平ライブツアー2023」の開催も発表した。
2011年からは、日本全国を自転車で巡るNHK BSプレミアム「にっぽん縦断 こころ旅」で旅人を務め、今年9月に腰部の圧迫骨折で出演を見送るまで14年間、出演を続けていた。
私生活では71年に結婚し2児の父となるが72年に離婚。結婚直後に新藤恵美との交際、さらに翌年には小鹿みきとの交際が報じられ、その後も仁支川峰子ら有名女優との浮名が浮上。70年代のワイドショーを賑わせ“最大11股”などと報じられたが、82年に事実婚を公表した。火野さんのモテぶりから、「火野さん=モテモテ男性の代名詞」となり、モテる男性有名人を「平成の火野正平」と称して報じるメディアが多数存在していた。