元横綱で相撲解説者の北の富士勝昭さん(本名・竹沢勝昭=たけざわ・かつあき)が死去していたことが20日、分かった。82歳だった。
北海道出身の北の富士は竹沢の四股名で1957年初場所で初土俵を踏み、ひたすら前に出る相撲を徹底。新入幕の64年初場所は13勝の好成績を挙げ、非凡な才能を開花させた。
その後、夜遊びにふけるなど一時期不振に陥るが、玉の海(玉乃島)の躍進で目覚め、巡業などでも猛稽古を積み重ねた。北の富士は69年九州場所で2度目の優勝を果たすと、翌70年初場所は玉乃島との優勝決定戦を制して連続優勝。場所後にライバルと同時に横綱昇進を果たし、長く「北玉時代」とも言われ、ライバルと名勝負を演じてきた。
だが、生涯のライバル玉の海が71年10月に27歳の若さで急死。翌九州場所で優勝したものの、ショックは隠しきれず、輪島、北の湖の台頭を許すことになり74年7月に引退した。
独立騒動やライバルの急死など、波瀾万丈の相撲人生。「現代っ子横綱」「夜の帝王」「プレーボーイ横綱」と呼ばれるなど、派手な私生活はエピソードに事欠かなかった。
引退後は年寄「井筒」を襲名し、部屋を起こしたが、九重親方の死去に伴い九重部屋を合併。師匠としても千代の富士、北勝海の2横綱を育てた。
98年には理事選挙に絡む騒動もあって相撲協会を退職。その後、NHKの解説者として活躍。的確な解説はもちろん歯に衣(きぬ)着せぬ発言は視聴者の支持を集めた。また放送席では着物を格好良く着こなすなど「粋」な一面ものぞかせた。病気療養のため23年春場所からテレビ出演も休んで、休養していた。
北の富士勝昭(きたのふじ・かつあき=本名・竹沢勝昭)1942年(昭和17)3月28日生まれ、北海道旭川市出身。1957年に出羽海部屋に入門。十両で史上3人目の全勝優勝。新入幕で13勝2敗の最多勝記録。66年秋場所で大関に昇進、千代の山(第41代横綱)の出羽海部屋からの独立とともに新生・九重部屋へ移る。70年初場所後に第52代横綱に昇進。玉乃海と「北玉時代」を築き、10回の優勝(全勝3)を果たした。74年名古屋場所を最後に引退、年寄「井筒」を襲名。のちに九重(千代の山)の逝去により井筒部屋と九重部屋を合併継承、九重親方となる。千代の富士、北勝海の2横綱を育てた。