【悼む 本紙OB大隅潔】横綱になる人は性格的にきついところがあって、とっつきづらい面があるものだが、北の富士さんはそういうところが全くなくて、誰からも愛された。
1学年上の彼とは年が近かったこともあり、よく遊びに誘われた。あるとき「ゴルフに行くから両国駅のガード下に朝の6時半に集合な」と言われて北の富士さんの車に同乗して、静岡のゴルフ場でプレーした。それで帰るのかなと思ったら「これから熱海へ行こう」と促された。
だが、泊まる宿が決まっていたわけではない。熱海の旅館街に着くと、ちょうど宿の女将さんたちが打ち水をして、客を迎え入れる準備をしている最中だった。その間を北の富士さんの車で一周した。すると「何番目の女将さんが良かった?」と聞かれた。「よしそこへ行くぞ」と言われ、そのままチェックインすることになった。こちらは日帰りのつもりだったので慌てた。家族にもそう言っていたので浮気しているのかと疑われそうになった。
ひらめきを大事にする人で、ハプニングを楽しむようなところがあった。自分で水商売の店も持っていて、歌もうまく相撲界で最初にレコードを出した。気配り上手で女性にも、相撲記者にも人気があった。
玉の海さんとは大親友だった。2人が横綱時代の巡業は、北の富士班、玉の海班に分かれて地方を回った。その巡業で玉の海さんが病気で急きょ東京に戻ることになった時には、自分の巡業が終わっていたのにもかかわらず、わざわざ駆けつけて、土俵入りを代行した。
そんな人情味のある北の富士さんの軽妙洒脱(しゃだつ)なテレビ中継の解説をもう見られなくなるのかと思うと寂しくて仕方がない。 (スポニチOB、東京相撲記者クラブ会友)