希代のプレーボーイとして名をはせた俳優の火野正平さんが14日に都内の自宅で75歳で死去した。プライベートでは多くの女性と浮名を流し「最大11股」と自身も話していた。プレイボーイの代名詞となってワイドショーをにぎわせていたが、スポニチアネックスの取材では、晩年は近所では評判の家族思いのおじいちゃんだった。
取材では、娘たちや孫とみられる子供たちも含めてワゴン車に乗って出掛け、仲睦まじく帰宅する姿が近所ではほほましい日常として繰り広げられていたことが分かった。
また、亡くなる1カ月前となる今年10月には家族と近所の飲食店で、楽しそうにゆっくりと食事をとっていた。目撃した人は「火野さんは杖をついていて、ゆっくり一歩一歩歩いていました」と話している。
「プレイボーイと呼ばれていましたが、とても家族思いで仲の良いおじいちゃんという印象でした」と話す人もいた。
浮名を流しながらも、別れた女性たちに“恨みつらみ”を公表されることはなかった。
「人に対して優しかった」と知人。深い愛情を家族や周囲に向けた晩年だったようだ。