もうすぐ12月。記者が担当するアマチュア野球は、25日に決勝が行われる明治神宮大会をもってオフシーズンに突入する。今年担当した東京六大学野球の慶大、東大などの野球部はウェブサイトで4年生部員の進路を発表している。野球を続ける選手もいれば、バットとグラブを置き、社会人としてスタートを切る選手もいる。勉強と野球の日々から仕事でお金を稼ぐ生活に一変する人生の転機。一参考として記者の社会人経験を記しておきたい。
記者は34歳。スポニチで東北~関東地区のアマチュア野球を担当している。高卒で働きだしたときには将来、記者で飯を食っているなんて想像もしていなかった。社会人生活の16年で学んだことは「なせば成る」。学生時代は社会で働く人が光り輝くプロフェッショナルに見えたが、その人たちも元々は学生。どんな専門的な仕事をしている人たちにも、素人時代がある。
素人続きな社会人生活を歩んだ。高校を卒業した18歳でプロ野球審判員を目指し、独立リーグの四国アイランドリーグの審判員となった。もちろん素人。多くのミスで選手たちに迷惑をかけた。それでも選手たちと同じようにNPBの世界に駆け上がってやろうと努力を重ね、20歳のときには夢だったNPB審判員に。独立リーグで2年、NPBの世界で6年ジャッジ。日本ハムのキャンプを担当したときには大谷翔平(現ドジャース)の投球判定を担当するなど思い出もたくさんできた。素人ではなく、ほんのわずかな間だが、プロとして生きる道を体感することもできた。
その後は地方公務員として3年間市役所勤務を経験。それまでほとんどパソコンを触ったことがなかったが、行政職員として文書作成や法令に基づいた補助金の交付などを担当した。
現在はスポニチ記者に転職して5年目が終わろうとしている。取材で選手の話を聞きながら新聞の見出しもイメージできるようになってきたし、記事に添える写真やYouTubeで公開する動画も撮れるようになった。
何が言いたいか。自分のような人間でも意外と仕事は何とかなっている。新社会人となる選手たち、とにかく明るく、積極的に未来に歩んでいきましょう。(記者コラム・柳内 遼平)