眼下に広がった勝者の行進。11月24日にソフトバンクの優勝祝賀パレードが開催された。スポニチ西部総局は福岡市明治通り沿いにある。9階のオフィスから見るとオープンカーはミニカーほどになるが、雰囲気を味わうにはちょうどいい。
「個人的には2010年以来だった」と感想を語る小久保監督は「正直言うと、やっぱり日本一になってパレードしないといけないというのが一番感じました」とも述べた。
ダイエーの福岡移転以降、日本一になったのは9度。20年は新型コロナの影響で実施されなかったから、これまで8回あった。ただ、指揮官と「日本一パレード」はこれまでは縁遠いものだった。
日本シリーズMVPになった11年にその姿はなかった。過去の紙面を検索してみると、パレード直前に首の手術をしていた。満身創痍(そうい)で勝ち取った日本一だった。03年はオープン戦で右膝に重傷を負い、シーズンを棒に振った。正確な記述はなかったが、パレードに姿はなかったようだ。衝撃だったのはその翌日、巨人への無償トレードが発表されたことだった。
12年に現役引退し、21年にヘッドコーチとして復帰するまでの間に日本一は6回。消去法でいけば小久保監督の言う「日本一パレード」は99年になる。福岡市30万人、北九州市12万人と合計42万人が歓喜し、オープンカーの横まで人が殺到した写真が残っている。
あの年は「狂乱」と言っていいほどの盛り上がりだった。市内各地でのパブリックビューイング(PV)ではファンにパソコンを奪われそうになった。3日間、飲食無料にした居酒屋があったり、冒頭で紹介したスポニチ西部総局からは中洲と天神を結んでいる「福博であい橋」から次々と川に飛び込む若者の姿が、よく見えた。
あれから四半世紀。みずほペイペイドームは変わらず連日満員だが、あの“景色”は消えた。何度も紹介したスポニチ西部総局もまた、来夏移転予定。無性に懐かしい思い出は心の中に保存しておこう。 (福浦 健太郎)