野球殿堂博物館は3日、来年の野球殿堂入りの候補者を発表し、競技者表彰のプレーヤー表彰でオリックス、マリナーズなどで日米通算4367安打を記録したイチロー氏(51=マ軍会長付特別補佐兼インストラクター)ら4人が候補入りした。同氏の候補1年目での殿堂入りは確実で史上初の満票の可能性も十分。発表は来年1月16日で、同じく候補入りし同21日(日本時間22日)に発表される米野球殿堂入りとの“ダブル栄誉”は確実だ。
イチロー氏が日米の球界で残した数々の記録、そして偉業は語り尽くせない。19年3月。東京ドームで現役引退を表明してから5年以上がたち、既に発表済みの米野球殿堂に続いて候補入りした。球史に残る天才打者は18年の松井秀喜、金本知憲の両氏以来7人目となる候補1年目での殿堂入りは確実だ。
オリックス入団3年目の94年。登録名を「イチロー」に変更して大ブレークした。故仰木彬監督から伝えられた際は「最初は冗談だと思った」というが、ここから人生も野球の歴史も大きく変わる。右足を左右に振る独特な「振り子打法」で、同年に当時プロ野球記録のシーズン210安打。安打数が話題となり「最多安打」が正式なタイトルになったのもこの年からだった。
当時パ・リーグ新の打率・385で首位打者に輝き、野手では史上最年少の21歳でMVP受賞。この年から3年連続MVP、そして歴代最長の7年連続首位打者と「安打製造機」として不動の地位を築いた。95年に発生した阪神大震災からの復興を目指し、「がんばろうKOBE」を合言葉に同年にリーグ優勝、翌96年はリーグ連覇と日本一を達成。地元・神戸に歓喜をもたらした。
01年に日本野手初の大リーガーとしてマリナーズに移籍すると、同年に大リーグ新人最多記録の242安打を放ち、打率・350で首位打者、新人王、MVPなどを受賞。そこから史上最長となる10年連続200安打を記録し、同時に打率3割、ゴールドグラブ賞にも10年連続で輝いた。打撃はもちろん、外野守備では強肩を生かした送球「レーザービーム」が代名詞だった。
04年にはジョージ・シスラーの大リーグ記録を84年ぶりに更新するシーズン262安打。この偉業でイチロー氏は現役選手ながら伝説の域に達した。大リーグで3089安打をマークし、日米通算4367安打はピート・ローズを上回る世界記録としてギネスブックに登録されている。
日本時間で来年1月22日発表の米野球殿堂とともに、イチロー氏は日本でも満票での殿堂入りが期待される。これまでの最高得票率は60年・スタルヒンの97・3%で、満票となれば史上初の快挙だ。現役引退の際に「後悔なんてあろうはずがありません」と語ったイチロー氏。日米の殿堂に、その偉大な名が刻まれる。
◇イチロー(本名・鈴木一朗=すずき・いちろう)1973年(昭48)10月22日生まれ、愛知県出身の51歳。愛工大名電では2年夏、3年春の甲子園に出場。91年ドラフト4位でオリックス入団。94年に登録名を「イチロー」に変え、当時日本記録のシーズン210安打で首位打者&MVP。01年からはマリナーズ、ヤンキース、マーリンズでプレーし、マリナーズに復帰して迎えた19年3月21日にアスレチックスとの開幕第2戦(東京ドーム)の試合後に現役引退を表明。06、09年WBCで世界一。現役時は1メートル80、80キロ。右投げ左打ち。
≪高校・女子野球普及に尽力≫イチロー氏は引退後、日本の高校野球や女子野球の指導、普及にも尽力している。19年12月に学生野球の資格回復研修を受け、20年12月から全国の高校で指導をスタート。今年は母校・愛工大名電など3校を指導し、5年連続で11校に足を運んでいる。21年からは自身の草野球チーム「KOBE CHIBEN」と高校野球女子選抜の試合を実施。4年目の今年は9月23日に東京ドームで開催し、元巨人、ヤンキースの松井秀喜氏、元西武の松坂大輔氏(本紙評論家)も参加した。
▽野球殿堂 日本野球の発展に貢献した人たちの功績を称え、顕彰することを目的に1959年(昭34)に創設された。競技者表彰は現役引退後5年以上経過した人が選考対象となる「プレーヤー表彰」と、監督やコーチ、または選手引退後21年以上経過した人が対象の「エキスパート表彰」。加えてアマチュア関係者や審判らが対象の特別表彰がある。選考は各部門ごとに定められた投票資格を持つ報道関係者や球界関係者らの投票で行われる。これまで競技者表彰104人、特別表彰は114人が殿堂入り。