初代タイガーマスクとして1980年代のプロレス界に大ブームを起こし、格闘技「修斗」の創始者としても知られる佐山聡氏(66)がYouTube「小川直也の暴走チャンネル」にゲスト出演。2000年代の総合格闘技界を席巻したヒクソン・グレイシーの異名にまつわるエピソードを披露した。
佐山氏といえば、チャンネルのホストを務める元柔道バルセロナ五輪95キロ超級銀メダリストの小川直也氏がプロレスに転向した時の師匠。ゆっくり話をするのが約25年ぶりとあって、2人にとっての師ともいえるアントニオ猪木さん(2022年死去)の知られざる逸話など、師弟は昔話に花を咲かせた。
小川氏は佐山氏の格闘技界における人脈の広さに敬服していたそうで、「あの時、(佐山氏が)ヒクソン(との対戦)いきましょうって言った時、本当にヒクソンいくんだ、って焦りましたからね」と回顧。高田延彦や船木誠勝といったトップレスラーを破った「伝説の男」とのマッチメークが実現寸前まで進んでいた当時を懐かしんだ。
スタッフから「ヒクソンの(異名)400戦無敗(の男)も、佐山さんがつけたんですもんね」と振られ、「それは公然の秘密です」と笑わせた佐山氏。1994年にヒクソンが「バーリトゥード・ジャパン」で来日した時に命名していた。
小川氏が「400戦というところがいいですね。400だと実際にあるかなって」とネーミングセンスに感心すると、「何気なく(アイディアが)出た。ちっちゃい時から柔術をやっていて、(ヒクソンに)無敗だろ?って聞いたら、無敗だって言うから、400戦くらいだなっていう話をして、じゃあ400戦だなって」と打ち明けた。