エースという天然素材を料理してネタを作る寺家。しかし、作り込みすぎず、鮮度の高さを残したまま仕上げる技術は相当なセンスだ。野球で言えば、M-1グランプリはまさに甲子園の舞台。久しぶりの“大阪代表”の全国制覇を見てみたい。
【バッテリィズ・インタビュー(2)】
◆◆ ピュアがゆえに人に刺さるエースの言葉 ◆◆
―ネタについて、寺家さんが一般常識をエースさんに投げかけて、それにキテレツな回答が返ってくるというものが多いですが、どのようにネタ合わせをされているのでしょうか?
寺家「ぼくはマウンドとボールだけを用意して、エースに何投げるか任せるという感じが多いんです。セリフを全部僕が書いてるわけじゃなくて、このネタフリで何が出てくるか待つんです。例えば温泉について話していたときに、エースはみんながありがたがって温泉に行く気持ちがわからないんです。なんで?って聞いたら“だって風呂じゃないですか”って。わざわざ遠くに行って風呂入るってなんやねんって言うんです。
―なるほど(笑い)。
寺家「まあ、ピュアなヤツならそう思うか、というのがぼくらの漫才には必ずあるんです。で、基本的に“また、エースがアホなこと言ってるわ”という感じで笑ってくれるんですけど、ときどきハッとさせられたりする。ピュアがゆえに、それがバカにしてた人に刺さったりすることがある。めっちゃ純粋なパンチが飛んでくる。なんか考えさせられること言うやん、みたいなのがある。それはネタを作ってる段階で、僕でもあったりするんです。松本さんがよく言う、面白い人と面白いことができる人の差みたいなところ。そういうのがエースにはあるんですよね」
―審査員のメンバーも今年は大きく代わりますが、決勝でのエースさんと審査員の絡みはぜひ見てみたいですね。そんなところを想像されたりしていますか?
エース「いや、別にそんな想像はしていないですけど、なんか面白いのを見せれたらいいな、と思ってます。一番獲れたらもちろんいいですけど、決勝に行けば、みんなに見てもらえるわけで。誰が一番とかは審査員が決めるだけなんで。そうですね。面白いというのを見せれたら別にまあ、それでいいんです。でも、爪痕を残すことはできる気はしていますね」
◆◆ 賞レース楽しくて仕方がない ◆◆
―寺家さんは決勝にどんな思いで臨もうと思われていますか?
寺家「獲ると獲らないで、人生がだいぶ変わるんで、まずは頑張りたい。ただ、どちらでもそれぞれの人生があるとは思ってます。運もありますから」
―芸歴は10年以上ですが、コンビ結成は何年目ですか?
寺家「結成してまだ7年ですね。M-1はご存知の通り、旬というのがあるんで。今年はミキさんとか、あんなウケてたのに落とされたりね。だから、まだ何年もできるとはいえ、本当にここ3、4年が勝負やし、ラストイヤーぐらいの気持ちでいかなあかんでしょうね」
―賞レースはやっぱり大変ですよね。
エース「いや、楽しいです」
―そうなんですか?
エース「え?みんな楽しいでしょ?」
寺家「エースは珍しいタイプで(笑い)。単純に、客席が満席になって、みんなも笑ってくれるから楽しいんだと思います。お客さんもすごい真剣に聞いて、みんな笑ってくれるじゃないですか」
―確かにそうですね。
寺家「でも、寄席っていっぱい出演者がいて、それを見にくる人はお目当ての何組かは注目したりしてるけど、興味のないコンビは流して聞いてるじゃないですか。エースは客席の人間一人一人を見るタイプなんで、興味なさそうにされるとちょっと落ち込んで、賞レースみたいにみんな見てくれてると、めっちゃ楽しいんです」
―緊張とか、されないんですか?
エース「あんまりしないですね。ときどき楽屋でオエっとかなってる人もいるけど、意味がわからんし。でも、さすがに去年、初めて準決に出たときは少し緊張しました」
寺家「エースでも緊張するんやから、やっぱM-1は特別な大会ということだと思ってます(笑い)」
【取材を終えて】本物の天然芸人はなかなかコンビ芸である漫才で大成するのは難しい。特に今の時代は言葉のセンス、構成力、演技力なども求められ、漫才のネタはちょっとした芝居の台本のような様相だ。双方のネタへの理解度が高くないと、完成度は急激に低くなる。天然芸人の発想力が漫才という枠ではなかなかうまくはまらない理由だ。
そんな中で、寺家の戦略は見事だった。キーワードを考え、その中でエースに自由な発想を披露してもらう。そこから微調整をしてネタという形に落とし込む。作り込まれたネタではないので、エースも伸び伸びと言葉を発し、発想力に富んだオリジナリティーあふれる言語が飛び出す。台本があるネタというか、いわばドキュメンタリー。こんなタイプのコンビはちょっと他に見当たらない。
芸人なら誰もが憧れる天然素材。そこに寺家が少し味付けして世に問う。審査員のベテラン芸人たちはエースをどう迎えるのか?今から楽しみでならない。(江良 真)