お笑いコンビ「オリエンタルラジオ」の中田敦彦(42)が17日放送のTBSラジオ「パンサー向井の#ふらっと」(月~木曜前8・30)にゲスト出演。YouTubeをスタートした意外なきっかけを明かした。
中田のYouTubeチャンネル「中田敦彦のYouTube大学」は2019年にスタートし、現在の登録者数541万人を誇る超人気チャンネル。教育系チャンネルとして、文学や経済・歴史などの解説する動画を数多く投稿している。
YouTubeを始めた当時、テレビのレギュラーも次々と降板していた中田。「冠がほしいと。やっぱり自分の番組でやりたいことをやりたい。それがどうしてもかなわないまま、7年ぐらい過ぎた時に、戦力外なんだなって思って、“番組をやめたい”って」と当時の心境を吐露した。
「(番組を降板し)それでへんてこなTシャツを売り始めたり。へんてこなTシャツをラジオで打ってたんですけど、そのラジオも終わって、いよいよTシャツも売れなくなってきた時に、追い詰められて公園でスマホを回したのがYouTubeの始まりです。崖っ縁です」と振り返った。
最初の動画は「人に好かれるしゃべり方」だったといい「収録して、編集もほとんどない、サムネもテキトーに文字載せただけみたいな。それでも、スマホで録って、スマホでアップして」とした。
ただ、視聴者から「何で外で撮ってるんだ、風がうるさい」とクレームが入り、「室内入って」と中田。「革ジャンでしゃべってたら、“何で革ジャンで授業してるのか分からない”って言われて、スーツに着替えて。授業っていうんだったらホワイトボードの前でしゃべろうとか、徐々に。『中田敦彦のチャンネル』から、『中田敦彦のYouTube大学』になっていって。本当にギリ死にかけなんです」と笑った。
「もう何にもない、ラジオもない、Tシャツも売れない、テレビも辞めちゃった。その当時、革ジャン着て、六本木の歩道を空見上げながら歩いている時に、爆笑問題の田中さんが車で急に止まって。“あっちゃん、”って。ついこの前までレギュラー一緒だったんですけど、“俺、このままだと天下とれないんで辞めます”って言ったあと、Tシャツも売れなくなった中田が空上げながら歩いてたら、“大丈夫か!”って言われて」と苦笑。「ペコリって会釈して、その数日後に公演でスマホ回し始まるんで。本当にギリギリの時、ありましたよ」と回顧した。