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北の富士さんをしのぶ会に2000人 八角理事長が涙のあいさつ「親方との出会いがなければ今の私はない」

スポニチアネックス 2024年12月18日 17時41分

 11月12日に死去した大相撲の第52代横綱で、人気解説者だった北の富士勝昭(本名・竹沢勝昭、享年82)さんをしのぶ会が18日に東京・墨田区の八角部屋で営まれた。

 弟子の八角理事長(元横綱・北勝海)、芝田山親方(元横綱・大乃国)、大関・琴桜、平幕の玉鷲、現役時代に対戦のあった元関脇・高見山の渡辺大五郎さんら多くの角界関係者に加え、元プロレスラーの天龍源一郎、小橋建太らの著名人も出席。八角部屋によると一般客も含め約2000人が参列し故人を悼んだ。

 祭壇には18年名古屋場所で撮影された笑顔の遺影が掲げられ、中央に備えられた位牌には「徳粋院殿釈勝縁大居士(とくすいいんでんしゃくしょうえんだいこじ)」の戒名が記された。

 発起人代表として八角理事長が参列者の前であいさつ。八角理事長は「北の冨士は私の師匠ですので、本日は親方と呼ばせていただきます。昭和53年、私がまだ14歳の時に…」と語ると感極まった。「帯広空港から、親方と一緒に、プロペラ機に乗って上京したことを今でも鮮明に覚えています。14歳で親方に出会えたこと。そのおかげで今の私があります。そのかけがいのない出会いがなかったら今の私はありえません。恩返しは大相撲の伝統文化を守り、未来への伝承に全力を尽くし、親方と同じように相撲人生を全うすることだと思っています」と何度も言葉に詰まりながら述べた。

 北の富士さんが師匠だった九重部屋があった場所を引き継いだ八角理事長は「親方の生前の願いは“この部屋から送り出してほしい”」だったと明かした。「その思いを本日、多くの方々に集まりいただいたなかでかなえられたことを親方も喜んでいると思います」と語ると目尻を抑えた。

 寂しい思いは尽きない。「以前、入院先を見舞った時、親方は新宿の方向を指さし“よく飲みに行ったな”としみじみと言われました。もう一度飲みにいって酒を酌み交わしながら昔話をしたかった。残念でなりません。また現役に復帰されて元気な声で現役力士を叱咤(しった)激励をしてほしかった。親方、大相撲にかけた人生、本当にお疲れさまでした。どうか心安らかにお眠りください。そして天国から優しい笑顔で、これまで同様に力士たちを見守ってください」と遺影で笑顔を見せる師匠に呼びかけた。

 北海道旭川市出身の北の富士さんは、14歳で出羽海部屋に入門。1964年初場所で新入幕を果たし、66年名古屋場所後に大関に昇進した。70年初場所後に同時に横綱に昇進した玉の海と「北玉時代」を築き、幕内優勝は10度。74年に引退後は九重部屋の師匠として千代の富士、北勝海の両横綱を育てた。協会退職後はNHK大相撲中継の解説者に転身。歯に衣着せぬ発言と愛情あふれる解説に加え、和服姿で解説席に収まる粋なたたずまいが視聴者に支持された。

 

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