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【内田雅也の広角追球】阪神「骨太の方針」とは何か? 転機の2016年 問われる自前育成の本気度

スポニチアネックス 2024年12月19日 8時1分

 新年1月1日付で阪神のオーナーに就く秦雅夫(67=現球団会長、阪神電鉄会長)が口にしたのは「骨太の方針」だった。今月13日、大阪・野田の阪神電鉄本社で行われた就任会見で語った。

 「8年前に据えた生え抜きの日本選手が中心となる骨太のチーム作りという編成は変わらない。育成重視の編成方針を堅持した上で、甲子園の特性を踏まえた投手を中心とした守りの野球で勝つことを徹底し、常に優勝争いをする常勝軍団を目指していきたい」

 「骨太」について、秦は昨年11月20日、関西の政財界人などを招いて開いた阪神電鉄主催の優勝・日本一祝賀会の冒頭でも口にしている。

 「今回の優勝は7年前からの骨太の方針が実を結んだ結果だと思っています」

 ただ、翌朝、この「骨太」発言を記事にしていた新聞はなかった。マスコミ受けが悪いのか、ファンの間でも浸透していない。

 秦は何も間違ったことを話してはいない。昨年果たした18年ぶりのリーグ優勝、38年ぶりの日本一は――監督・岡田彰布の手腕によるところが大きいが――球団として長年のチーム作りが実を結んだのだと胸を張りたい気持ちもわかる。フリーエージェント(FA)や外国人など補強に頼らず、新人発掘と育成、自前の選手によるチーム作りである。

 森下翔太、大山悠輔、佐藤輝明のドラフト1位クリーンアップをはじめ、レギュラーは皆、生え抜きが占めていた。自慢の投手陣もドラフトで獲得した陣容が中心だった。

 球団として「骨太の方針」を打ち出したのは2016年、金本知憲の監督1年目を4位で終えたオフだった。

 同年11月22日、大阪・福島のホテル阪神であった球団納会の席上、金本は次のように話している。

 「カープが強かろうが、ジャイアンツが強かろうが、関係なく向かっていきましょう。とにかく骨太なチームをつくっていきたいので、厳しい練習もあると思いますけど、来年、本当に優勝するために怖がらず立ち向かっていきましょう」

 これが「骨太」の始まりである。金本発言の背景には球団のオーナー・坂井信也以下の強い思いがあった。坂井はこの1年前、金本を監督に招へいする際、口説き文句として「チームを一度壊してでも建て直してほしい」と伝えている。「地道にドラフトで素材の良い選手を取り、育てて、自前の骨太なチームにしたい」

 岡田の下、前回優勝した2005年から10年が過ぎていた。この間、城島健司、福留孝介、西岡剛ら大リーグ帰りの打者や主軸と期待する新外国人打者を補強して悪戦苦闘していた。ただし、06年から10年間で7度のAクラス入り。2014年にはクライマックスシリーズ(CS)を勝ち上がって日本シリーズにも出場している。外国人選手は幾多のタイトルを獲得していた。補強は失敗ばかりではなかった。

 2007年から15年まで球団社長を務めた南信男は自前育成があるべき姿としたうえで「阪神ではファンが待ってくれない」と語っていた。人気球団ゆえ、優勝という結果を急ぐファンやマスコミの批判の声に負け、監督を代え、補強に動いてしまう。出番をふさがれた若手は育たない。「1度でも優勝できていれば、また違っていた」と、腰を据えてのチーム作りは後回しとなっていた。

 ファンやマスコミの声にどれだけ辛抱できるか。球団として育成方針に本腰を入れた2016年の「骨太の方針」が転機となったのは確かだろう。

 ただし「骨太は承知していますが、それでも優勝まで足かけ8年かかっていますね」。秦の就任会見で少々嫌みな質問をした。秦は「骨太を継続しつつ、今後は優勝癖をつけられる常勝チームをつくりたい」と答えた。

 「優勝癖」とは退任するオーナー・杉山健博が残した言葉である。優勝のサイクルを短くしたい。揺るがぬ姿勢の本気度が問われている。そして、育成と勝利との両立が課題なのは昔も今も変わらない。   =敬称略=    (編集委員)

 ◆内田 雅也(うちた・まさや) 1963(昭和38)年2月12日、和歌山市生まれ。桐蔭高―慶大卒。1985(昭和60)年4月、スポニチ入社。野球記者歴40年。来年は阪神球団創設90周年に「昭和100年」。節目の年ととらえている。

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