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渡辺恒雄さん死去 スポーツ界の発展に寄与 野球界のみならず…サッカー、大相撲にも影響

スポニチアネックス 2024年12月19日 11時37分

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。東京都出身。葬儀・告別式は近親者のみで行う。喪主は長男睦(むつみ)さん。読売新聞グループ本社が発表した。プロ野球・巨人のオーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問などを歴任し、日本球界の発展に寄与。さらに野球界のみならず、サッカー、角界にも大きな影響を与えた。

 渡辺さんは東大文学部卒業後の1950年に読売新聞社に入社し、ワシントン支局長、論説委員長などを経て91年に社長、2002年に読売新聞グループ本社の社長・主筆に就任。04年に会長・主筆となった後、16年から現職についた。

 副社長時代の1989年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれたことをきっかけに球団に関わるように。その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年にオーナー就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界発展の立役者となった。

 球界の制度改革や新球団の参入など、巨人のみならず野球界全体に影響を与え「球界のドン」と称された。

 その影響は、サッカー界にも及んだ。93年にJリーグが始まった当時、V川崎(現東京V)の東京移転や企業名を入れないクラブの呼称などを巡り、「地域密着」の理念を掲げた日本トップリーグ連携機構会長の川淵三郎氏と衝突。互いを「独裁者」と呼ぶなど舌戦に発展した。

 大相撲では、91年から05年まで横綱審議委員会委員、01年から2年間横審委員長を務めるなど、幅広く活躍した。

 社団法人日本新聞協会会長も歴任。「ナベツネ」のニックネームで知られ、政財界に幅広い人脈を築いた。07年、第54回カンヌ国際広告祭で世界のメディア業界の中から傑出した人物を讃える「メディアパーソン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。

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