読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さんが、19日午前2時、肺炎のため東京都の病院で死去した。98歳。プロ野球巨人の終身名誉監督を務める長嶋茂雄氏(88)ら、歴代監督が球団を通じ、追悼のコメントを発表した。
巨人「V9」時代に王貞治氏とともに「ON砲」としてチームをけん引し、渡辺さんが巨人軍の実質トップとなった92年秋に監督に復帰して長きに渡り球団に貢献した長嶋氏は、訃報を受け「突然の訃報でした。しばらくは、何が起こったのか、頭は白紙の状態でした」と衝撃の深さを吐露し「古く長いお付き合いで、巨人を離れても沢山の思い出があります。今、何を話せばよいのか、巨人が勝った時の渡辺さんの笑顔しか浮かんできません」と語るにとどめた。
「ON」として現役時代と監督時代ともに「ジャイアンツ」を長嶋氏とけん引し、「巨人軍の象徴」としてソフトバンク球団会長の職に就いてからも渡辺氏と交流を続けてきた王氏は「他に類を見ないほど熱烈なジャイアンツファンでした。やっぱり正力(松太郎))さんの“巨人軍は常に強くあれ”という思いを受け継いでいましたね。渡邉さんとは現役時代から私が監督になるときも辞める時もお会いしてジャイアンツの話をしました。ホークスの監督になった後も野球界やジャイアンツに対する話を聞かせて欲しいと求められましたし、私としても色々とお話をさせていただきました。とにかく誰よりもジャイアンツに強い情熱を持っておられた方でした。心よりご冥福をお祈りいたします」と渡辺氏との思い出を振り返り、感謝と追悼の思いを記した。
歴代最長となる通算17年間巨人の監督を務め、巨人監督歴代最多の1291勝、9度のリーグ優勝、3度の日本一と輝かしい戦績を残した前監督でオーナー付特別顧問の原辰徳氏は、「私にとって、野球だけではなく、人生においても強い影響を与えていただいた恩師でした」と感謝。「厳しいご指導をいただいたこともありましたし、温かい言葉で励ましていただいたこともあります。渡辺主筆は、私の人生の中で燦然と輝いた存在です」と追悼し「野球界のため、日本のため、世界のためにご尽力いただき、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」と感謝の言葉を伝えた。
阿部慎之助現監督も「渡辺主筆には入団当時から温かく見守っていただき、感謝しかありません」と感謝「叱咤激励の言葉からはいつもジャイアンツへの愛情を感じていました。今季、主筆に日本一の報告をできなかった悔しさを忘れず、来季こそ必ず日本一を勝ち取りたいと思います。心よりご冥福をお祈りいたします」と、日本一奪回を誓った。
渡辺さんは1926年5月30日生まれ、東京都出身。株式会社読売新聞社社長、読売ジャイアンツ(巨人)の球団オーナー、株式会社読売ジャイアンツ取締役最高顧問、社団法人日本新聞協会会長を歴任し「ナベツネ」のニックネームで知られた。
副社長時代の89年、読売巨人軍の球団内で組織された最高経営会議のメンバーに選ばれたことをきっかけに球団に関わるように。その発言が球界に強い影響力を及ぼすようになり、96年にオーナー就任。記者としての知識を生かし素早く野球業界について学び、球界の制度改革や新球団の参入、ドラフトの改革など新風を吹き込み球界発展の立役者となった。