西武、巨人、オリックスで通算525本塁打を放った清原和博氏(57)が17日放送のBSフジ「プロ野球 レジェン堂」(火曜後10・00)にゲスト出演。球史に残る1985年の“涙のドラフト会議”を振り返った。
PL学園時代に5季連続甲子園出場を果たし、3年夏には同級生・桑田真澄氏(現巨人2軍監督)との“KKコンビ”でチームをけん引して全国制覇。注目のドラフト会議で清原氏の意中の球団だった巨人は大学進学を公表していた桑田氏を単独1位指名し、清原氏は6球団競合の末に西武が交渉権を獲得した。
番組MCのフリーアナウンサー徳光和夫は「ジャイアンツファンとしましては悔恨の1ページなんですが」とドラフトを回想。清原氏は「寮の中が荒れて、桑田を探して襲撃するみたいなことになって。それを止める…僕がやらせたと思ったら嫌だったんで止めるっていうか“みんな静かにしてくれ”っていう感じで“俺、西武行くから”って言ったんです」と話し、自身に同情して荒れるチームメートをなだめるために「西武入り」を口にしたと明かした。
桑田氏は高校時代から“群れる”ことはせず独りでいることが多かったそうで、「彼ぐらいの精神力がないとあの騒動には耐えられなかったと思います」と清原氏。徳光が「桑田さんにもつらさはあったでしょうね」と言うと清原氏も「あったと思います」とうなずき、「僕を裏切った形で世間にすごい言われましたからね。今振り返ってみると、桑田がジャイアンツに入りたかった思いと、そういうのも理解できるようになりました」と穏やかな表情で語っていた。