渡辺恒雄氏は1991年に読売新聞社社長・主筆に就任して以降、圧倒的な権力でトップに君臨し続けた。
影響力を維持すべく、古巣の政治部の記者を出世コースの社長室長に抜てきし、3年ほど身の回りの世話をさせることで忠誠心を養った。その後、本社や関連企業の重役へと送り込むことで地位を固めてきた。
社長として発行部数1000万部を目標に掲げ、在任中の94年5月に初めて大台を突破。最高部数は01年1月の1031万91部。
移動車はトヨタの最高級車センチュリーで、渡辺氏の張り込みを担当していた記者は「覚えやすいナンバーだった」と話していた。